エッセイコーナー
285.水戸の御老公  2018年1月21日

人格的に問題ある人物が権力を握ると、社会は不幸になる。
善悪の判断がつかない人物が権力を握ると、社会は崩壊する。
然し乍ら、世の中と云うものはうまく出来ていて、何がしかの作用が働いて均衡を保つように出来ている。
悪いヤツがいれば善人もいる。決して悪人を野放しにはしないのが社会、世の中だと思う。
いずれ彼の国も一掃され、平常を取り戻し、平静を保つのではないだろうか。それによって世界も、平明で健康的な日常を取り戻すのではないだろうか。

「悪を懲らす」と云えば、1950年代からお茶の間に笑みと感動をもたらすテレビの長寿番組がある。出演者を変えながら、今でも再放送が繰り返されている。悪を懲らしめると云ったテレビ番組では、何よりこの水戸黄門が一番ではないだろうか。
私も大の水戸黄門ファンであり、時間の都合さえ合えば、同じ放送内容と知りながらも何度でも見入ってしまう。その都度新たな感動を頂戴し、時には涙腺崩壊を招きながらもテレビに齧り付いている。
なかでも、東野英治郎(故)さん扮する黄門様が大好きである。現在再放送中の番組がそれで、助さんは里見浩太郎さん、格さんは横内正さんで、キャスティングとしてそのお三方が一番印象深い。

先週放送の一話では、兄の敵(かたき)を求めて30年間流浪の旅を続ける孤高の老武士が、持病の心臓病で旅先に倒れたところを、格さんの案内で厄介になった民家の主人が、30年間探し求めた敵であることを知った。その敵と云うのが、農政にも通じ、農民から全幅の信頼を集める古老の浪人だった。
だが、この古老の浪人を、目の上のたんこぶと捉えていた悪人代官が、亡き者にしようと仇討ちの機会を段取った。

しかしながら敵を求めて流浪の旅を続ける孤高の老武士は、敵が農民から慕われる人格者だと知って迷いに迷った。
その挙句、果し合いの前日には刀を岩や小石に打ち付け、わざと刃を潰して果し合いに臨んだ。
ところが敵の古老の浪人もまた、自ら討たれることを望んで同じように刃を潰したのだった。
理非善悪を見極め、愛他的精神を重んずる。これぞ武士道の心髄、精神そのもではないだろうか。

最終的には、葵の御紋の入った印籠を披露し、「こちらにおわす御方は天下の副将軍水戸光圀公なるぞ」と悪人代官をいつもの如く成敗したのだった。
めでたしめでたしで終わったが、単細胞な私は今回もご多分に漏れず涙腺崩壊を招きながら感動のひと時を味わった次第である。
現代に黄門様はいる筈もないが、いずれどこからともなく、悪を正す崇高な魂が世に放たれるのではないかと、期待してやまない。


フォト短歌「豪風」  


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