エッセイコーナー
159.昭和の大物死す  2015年12月10日

野坂昭如氏(85歳)が、昨夜9時過ぎ、東京杉並区の自宅で亡くなったとのこと。
謹んでお悔やみ申し上げます。

野坂昭如氏と云えば、『火垂るの墓』があまりにも有名だが、1967年の同年、2作品(『火垂るの墓』『アメリカひじき』)ともに直木賞の受賞を果たしたことでも知られている。
特に『火垂るの墓』では、その切なさに誰もがせぐりあいだのでないだろうか。かくいう私もその場面をちょっと思い出しただけでも直ぐ様打ち時雨るのである。
戦争の酷さや虚しさを肌で知る昭和1ケタ生まれの作家として、最後の最後まで反戦を唱え、子どもらの飢える姿を見たくないと、TPPにも反対し、眼前の危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本社会を憂え、原発問題についても懸念していたという。

また野坂氏は、無頼派作家としても知られ、故・今東光和尚が会長を務めた「野良犬会」のメンバーでもあった。
1990年10月23日、映画監督大島渚の真珠婚式パーティーで挨拶を行う予定であったが、野坂が帰ったと勘違いした大島が野坂の順番を飛ばして進行したために、当初の予定より出番が大幅に遅れてしまい、その間に大量に飲酒し酩酊してしまった。ようやく登壇し祝辞を終えると同時に、左後ろで野坂の挨拶を聞いていた大島の眼鏡が吹っ飛ぶほどのパンチを食らわすが、大島も負けじとマイクで野坂の顔面を2発殴った。(ウィキペディアより)
負けん気の強いお二方の殴り合いは今でも記憶に鮮明に残っている。

また、野坂氏は農業にも理解を深めており、自身で米を作っていたとのことだ。
何れにしても惜しい人が次から次と亡くなっていく。
私の親類でも3人ほど立て続けに亡くなっており、また更には近所でも今週末に2軒の不祝儀がある。
冬到来の季節の変わり目、空虚感とともに一抹の寂寥感を感ぜずにはいられない。
『火垂るの墓』のように。


 
俺はニーチェかサルトルか、みんな悩んで大きくなるんだよ・・・


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