エッセイコーナー
685.農は国の土台なり  2022年4月19日

つい先日迄、4月だと云うのに真夏日となる暑い日が続き、一気に桜が満開となった岩手県南部の圃場では、田起こし作業が一気に進んだ。
我が家でも「そろそろだな、あ~」とため息まじりに、自覚しながらも重い腰を漸く上げることにした。
昨日と一昨日の午前中、重低音を響かせながらトラクターに乗った。

先日のぽかぽか天気とは打って変わって、この2・3日は花冷えも加わり、農作業の煩わしさと相まって気が実に重い。
その気鬱の原因は、勿論農作業の煩わしさもあるが、米価の下落が影響しているように思う。
先日、先輩と世間話をしていると、「あ~、俺はもう死にたいよ」と、真剣な眼差しで呟かれた。先月の地震被害やコロナ禍もあって、気持ちは痛いほど分かるだけに、返す言葉が見つからなかった。
コメの需要が減り、コメ余りが続いている。
政府はコメの生産を減らす政策ばかりに心血を注いでいるようだ。

古来より日本は、瑞穂の国としてコメを主食に稲作が盛んだったが、今のままの農業政策が続くと、果たしてこの先どうなるのであろうか。
生産者の高齢化は元より、採算が合わない為に後継者は不足。ジリ貧状態であり、益々衰退の一途を辿るばかりである。
「食料は外国から買えばいいじゃん」などとぬかすアンポンタンもいるが、肥料の高騰や、今回のウクライナ危機、チェルノーゼムへの軍事侵攻で分かるように、今後は食料の確保が更に厳しさを増すのではないだろうか。

ウクライナは小麦の産地として知られているが、日本はたとえウクライナから直接買い入れてはいないとしても、世界全体で小麦が不足することは明白であり、価格が高騰するのは火を見るより明らかである。
そうなると逆に、コメの需要が増えると思われるが、一旦耕作放棄地と化しては、再生はかなり難しい。
いずれにしても、日本政府が推し進める企業戦略的な農業政策では、日本のような、小規模な農業経営では厳しいと云わざるを得ない。机上の空論。空理空論。夢中の虚論である。

一戸当たりの農地面積の差を、諸外国と比較すれば一目瞭然である。
EUの9分の1、米国の99分の1、豪州の1,902分の1と、あまりにもかけ離れているのが現実がある。
また、他の先進諸国をみても分かるように、食料自給率を高めるべく、「自国農業への保護政策は必須」であるとするのが至極当然であろう。
食料政策は、「国の安全保障上」必要欠くべからざるものなのである。

鈴木宣弘教授の弁を借りると、「国は、コメが余っているから作るな、ではなく、需要を増やすための努力、積極的に財政出動するなどの政策が必要だ。」
日本の食料自給率を、カロリーベースでみると僅か37%(令和2年度)足らず。生産額ベースでみても67%(令和2年度)と、100%には程遠いのが実態である。G7の中で比較すると、穀類や豆類では圧倒的などんじりである。
もし万が一、有事の際はどうなるのだろうか。
「兵糧攻め」と云ったしっかりとした戦術がある。生き延びる為には先ず食べなければならない。スマート農業などと云ってる場合ではない。まずは国内の食料自給率100%を実現出来るよう、一刻も早く、今のうちから手を打っておくべきではないだろうか。


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