エッセイコーナー
93.多忙なお盆  2014年8月17日  

今年のお盆も無事に終わり、涼しさが実感できる晩夏、いや初秋の候となった。
「お盆休み」というと、世間一般では「休み、息抜き、休養、休憩」といった意味で捉えられているのではないだろうか。お盆は一般的に8月13日から16日迄の4日間なのだが、勿論、会社によっては、夏休みとして中期や長期の休みが与えられているところもあるだろう。

日頃の疲れをじっくりと癒やし、家でのんびりしたいところだが、田舎に住んでいるとそんな悠長な事をいってはいられないのである。
夏休みで帰省した友人らと一献を交わし、戯歌水游の夜に付き合い、民区の行事に駆り出されてはそうめん流しや焼き鳥の支度、そして日が沈むと太鼓櫓を取り囲んでの盆踊り大会。そして15日には、昨年ご不幸親を招いた親類らの初盆などなど、ゆっくり休んでいる暇など何処にもないのである。
そんなことから、お盆が終わるとほっとするというのが本音である。

お盆の最終日であった昨日は、叔父の初盆の為盛岡市大慈寺町の祇陀寺(ぎだじ)を訪れた。
同寺のご住職吉田大信和尚より、貴重で、しかも非常に為になるご講話を頂戴した。
それはお盆の由来などのについてであった。
メモを取ろうと思ったが、生憎ペンを忘れた為に、記憶の断片を持ち帰り、調べてみた。

お盆の正式名称は盂蘭盆会(うらぼんえ)。サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものだと云われている。つまり、逆さ吊り(苦しんでいる)にあっている人たちを救う為の法要だとのことだ。
お釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)の亡き母が、餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされ、苦しんでいるのを知り、その事をお釈迦様に尋ねたところ、夏の修行が終る7月15日(旧暦)に、その修行僧らを招いて供物などを捧げ、「供養することによって母は救われるだろう」との教えを受け、その支持に従うことによって、母は救われたのだとのことである。

それ以来、7月15日(旧暦)、つまりお盆には、ご先祖様を招き、報恩感謝をささげ供養をする大切な日となったとのことだ。
つまりは、お盆期間中は殺生を慎み、供物などを捧げてご先祖様を供養することが大事なのだということである。
盆棚を飾り、迎え火を焚き、そうめん流しや焼き鳥の支度をし、そして太鼓櫓を取り囲んでの盆踊りなどなど、「面倒だなぁ~」などと小言を言わず、ご祖先様の霊を祀り、一緒になって楽しむべきである。
そしてこの風習を、幾千代迄も受け継いでいくべきだなと感じた、今年のお盆であった。


そうめん流し
 昨年の民区盆踊り大会の様子など>
高校時代の友人らとは、毎年水沢で飲みながら他愛も無い会話で盛り上がるのだが、飲み始めは決まって「焼き鳥道場」である。なかにはなかなか馴染めない連中もいて、彼らとは二次会に合流するといったパターンだ。私らにとっては、入店の折り多少は緊張するものの、此処がお気に入りの場所である。何しろ此処の焼き鳥や塩タンは絶品であり、非常に安いのである。                緊張する訳とは>>


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