エッセイコーナー
43.男の顔は履歴書だ!  2012年7月1日

「男の顔は履歴書だ」と云ったのは、故・大宅壮一(ジャーナリスト)である。
氏は生前、自宅の書庫などに4万冊以上もの書籍や雑誌を保有し、「何かを調べる時は直ぐにその関係書を引っ張り出して調べたものだ」と話していた。故に「本は読むものではなしに引くものである」との明言を残している。
また、「男は40歳になれば自分の顔に責任を持たねばならない」と云ったのはリンカーン元アメリカ合衆国大統領である。(但しそれには前段があって、顔が気に入らないという理由で不採用にした男性がおり、そのことに対して側近からたしなめられ、苦し紛れにそう答えたのが事の真相らしい)

それらの顔に関する造語や格言の真相、或いは信憑性については諸説色々あろうが、「男の顔は履歴書だ」に至っては、当たらずとも遠からずではないかと私は思っている。
勿論生まれ持っての美形や美顔、二枚目顔やイケメン面の類は比較検討の材料ではない。
小生のような世間一般で云う不細工顔であったとしても、心優しき男の顔にはどことなく優しさが滲み出るものであったり、教養を高めた者や徳を積んだ者の顔にはそれ相応の品格が備わっているものだ。

そんな視点から、グルっと辺りを見回してみると、どうもテレビ画面に出てくる政治家の御顔には、前述のイメージが湧いてこない面々が多いように思えて仕方がない。
金と権力に取り憑かれた、とても善人とは思えない強欲の塊のような「悪相の面」としか映ってこない人も少なからずいるように思えてならない。
それでも、若い議員や新人の議員、或いは「悪相の面」にしか映ってこない面々であっても、新人の頃のそれは多少違って観える。

金権体質の蔓延る腐りきった柵を断ち切り、利権絡みの歪んだ政治を正そうと大義を持って政界に打って出た当初は、熟し過ぎた果実が今にも果肉と皮が垂れ下がり、重力に逆らうこと無く自然に落っこちるのとは違い、表皮には潤いや張りがあり、中身も硬い果肉で引き締まっているように観える。
しかしながら何れは、狸や狐の化かし合いによる政界の荒波にさらされ、経年による劣化とともに知らず知らずのうちに変貌を遂げていくのだろう。

選挙の時は、地元有権者にさんざん世話になっておきながらも、一般常識で考えれば震災直後に選挙民の安否を気遣い、一番最初に駆けつけるべき地元選出の大物政治家が、放射能が怖かったと10ヶ月も姿を見せず、素知らぬ振りをしていたとある週刊誌や地元の新聞で報じられた。
更には、権限にものを言わせ、行政当局から内々の放射能未公表段階の情報を極秘裏に入手し、身内のみに逃げるようにと促し、自身も逃げようとしたとのことだったそうだが、賢明で聡明な奥さん(当時)に窘められて思い留まったとのことであった。

これが事実であったならば実に情けない話しではないか。
とても国政を司る政治家の取るべき態度ではない。「それでも男か…」。
地元有権者らに対する裏切り行為だといっても決して過言ではないのではないだろうか。
地元岩手県から6人目の首相誕生を期待し、庶民の立場に立ち、生活第一、生活重視の政策を推し進めると断言したその姿勢や方針に心底から応援してきたのだったが、今思えば実に虚しく感じられてならない。

追記
嘗て、死者・行方不明者10万5000人余、住家全半壊21万余り、焼失21万余りの甚大なる被害を出した1923年9月1日の関東大震災後に、復興対策を進める為に創設された「復興院」は、元東京市第7代市長であり、当時内務大臣の任に付き、災禍を恐れること無く率先して復興にあたった後藤新平翁の主導によるものであった。
その後藤新平翁の出身地も、同じく岩手県水沢市、現在の奥州市である。

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