エッセイコーナー
11.親の責任とは!  2009年11月16日

イギリス人の英会話講師リンゼイさん死体遺棄容疑で、指名手配されていた市橋容疑者が先日逮捕された。
被害者のリンゼイさんを思うと、何とも憤りを感じてならない。
夢を持って遥々海を渡り、日本の地で英会話の講師をしていた。年齢だって未だ当時22歳である。将来ある身、人生これからだった筈。そのご両親や親族にしてみれば容疑者が憎くて憎くてしょうがないだろう。勿論許されるものではない。
罪は罪として、当然しっかり償って貰いたい。

ただ、今回の逮捕の際、石橋容疑者のご両親が顔を公開し陳謝した事に対し、些か思う事もある。
ご両親ともども医者という言わばインテリゲンチャーである。
本当に恥を忍んで忍びながらも、社会に対する責任を感じ、今回の様な謝罪会見に臨んだのであろう。
「子供の責任は親の責任」という言わば連帯責任的発想を社会は望んでいるのだろうか。

容疑者の市橋達也は30歳にもなる立派な大人である。大人である以上、全責任は当事者が負うべきもので、両親とは関係のない事ではないだろうか。
前述したように、自ら社会的責任として社会的使命感をもってマスコミの記者会見に臨んだのであれば、やぶさかではないのだが、仮にマスコミの誘発によるものだとするならば、あまりにも可愛そうでならない。
当然捜査段階での情報はマスコミにも流れていた筈。その当時から、ご両親の自宅に押しかけ、何らかのインタビューの交渉をしていたのだろう。
そうなれば当然、容疑者の親族としてはまったくの受身の立場として、逃げ場の無いとてつもなく重い苦しい重圧を受けていたのに違いない。

罪は罪として、当事者がその責任を負う事じたいはしごく当然の話だが、そのご両親の心情を察すると本当に辛い思いを感じてならない。
ただでさえ愛情を尽くして育てた息子が、殺人犯として容疑(現時点では)をかけられ世の中を騒がせている。
その事じたいショックが大きいだろうし、おそらく生きていく気力さえ失っているのではないだろうか。そっとしておくべきものではないのだろうか。
この事は何も今回の事件だけではない。今迄何度も何度も、事件の度に両親が謝罪の会見で肩身の狭い思いをしながら必死に耐えている。恥を曝すのは容疑者当人だけでいいのではないだろうか。

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