エッセイコーナー
420.恩赦  2019年10月23日

昨日、令和天皇の即位礼正殿の儀が粛粛と行われた。
それにともない、交通違反者や選挙違反者などを対象に、2016年10月21日迄に罰金を支払い、再犯のない者に対して恩赦が実施されることになった。対象者は55万人にのぼるとのこと。
恩赦の実施決定は国会の審議を受けずに閣議決定で決まったが、被害者への心理的影響、決定の過程がみえないとしての批判が大きいようだ。
特に公職選挙法違反や政治資金規正法違反などの政治犯罪に対する恩赦は、政治家仲間への配慮等々、恣意的な運用ではないかと勘ぐられているようだ。

恩赦の歴史は古く、飛鳥時代に中国の律令制を導入した際に、恩赦の仕組みも一緒に輸入されたのがその始まりだそうだ。この恩赦は、皇位継承のみならず、1952年のサンフランシスコ平和条約の発行や1968年の明治100年記念など、戦後だけでも既に12回も実施されている。
対象となる55万人については、世間一般が心配する殺人などの凶悪犯は対象ではないとのことで、それ程神経質になる必要はない筈。にもかかわらず、懸念を示す人たちが多いのが現実だ。

孔子曰わく、可なるかな。古の訟を聴く者は、其の意を悪みて、其の人を悪まず。『孔叢子(くぞうし)』の刑論にあるように、「罪を憎んで人を憎まず」の精神は、不寛容が罷り通る今日の社会傾向を鑑みると、善導の指針となり、磁針となるのではないだろうか。
犯罪者として刑罰を受け、心底から猛省し、後悔している受刑者が多いと思われる。
新たな鹿島立ちを図り、やり直せる為のチャンスを与えることは、愛情や慈しみを持つべき人として、大切なことではないだろうか。

フォト短歌「ひと」  

平和の詩


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