エッセイコーナー
161.お歳暮代わりのいい話  2015年12月28日

地元一関市図書館で、何か面白い本でもないものかとうろうろ見て回ると、ふと目に留まった一冊の本があった。
春風社の『大地の文学』と云う、いかにも私好みのタイトルの一冊であった。早速手にとってページをめくると、宮沢賢治のことが書いてあった。作者は小野寺功(86歳)さん、岩手県出身の哲学者である。

著書の中で、賢治について森信三翁(哲学者)によれば、「いわばいくつかの面を内包している透明な多面体」と表現している。詩人であり、劇作家であり、科学者でもある賢治の、その根幹にあるのは無償の農民指導者たる処にあったと述べている。
大地の文学』は、著者によると賢治の全体像としてまとめられたとのことだ。
その中での、大地と賢治の関わりについて、農本主義的な意味のみならず、ドストエフスキーのいう「魂の故郷」としての大地、「人間の拠り所」としての大地、苦悩連帯の大地的心情などと解するとき、それを賢治ほど統合的に、深く体現している文学者は稀だ。と述べている。

著者同様、小生も賢治と同郷の岩手県人だが、東北の大地に、豊かな鉱脈のように内在する「聖なるものへの憧憬」を抱く者として、非常にこの著書に興味をそそられた。
是非とも入手したいと、ネットで調べてみることにした。
キーワードを入力し、ネット上を彷徨っていると、とあるブログの記事に心が奪われ、心底から感銘を受けた。
以下にその内容を紹介したい。

『大地の文学』を発行したのは春風社という主に学術書を手掛ける硬派な出版社だが、昨年の9月、創立15周年を記念して、「東北をきく」と題した記念パーティーが開かれた。
そのパーティーでの乾杯の音頭を取ったのが、著者であり、清泉女子大学名誉教授の小野寺功さんである。
その乾杯の挨拶の中で、『大地の文学』刊行当時のエピソードを語ったそうだ。
刊行にあたり、小野寺さんは編集の担当者に、「私の本は売れないと思うので申し訳ない」と正直に話したそうだ。
それを聞いた担当者は、即座に「先生、ゴッホの絵は、生前に1枚しか売れなかったんですよ」とさり気なく、優しい言葉を返したのだそうだ。

なんと素晴らしい対応であろうか。
そのさりげないひと言に、本物の編集人としての心意気がひしひしと伝わってくるではないか。
世の中、とかく金カネかねと、利益最優先を唱える企業がひしめく中で、本物の価値を見出し、「良い物は良い、良い物は残すべきだ」と、採算を度外視してまでも残そうとするその崇高な気概に、直ぐ様心の琴線に触れ、打ち時雨た次第であった。

ものの大小や高低への価値観が、優遇されると云うのが昨今の世間一般的評価だが、決して外見にとらわれることなく、ものの本質を見極めながら歩むことの大切さを、改めて考えさせられた逸話であった。
2015年も残すところあと僅か、今年一年を振り返ってみると色んな感動を享受できた年でもあった。
一年の終わりに、このような美談に触れることができ、改めて今年は良い年であったと感慨を深めたのだった。


聖なるもの 大地の文学  



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