エッセイコーナー
212.天皇生前退位論  2016年11月4日

父君のにひなめまつりしのびつつ我がおほにへのまつり行なふ   御製「大嘗祭」平成2年
平成2年11月12日、今上天皇が即位礼を挙げて第125代天皇となられ、その十日後に、新穀を天照大神にそなえて天神地祇(てんしんちぎ)を祀る大嘗祭(おほにへまつり)を執り行なわれた。そのときの御感懐を詠まれた大御歌である。
即位への強い決意と、責任の重みがひしひしと伝わってくるようだ。

昨今、天皇の生前退位をめぐり、色々物議を醸している。
我々平民にとっては、程遠い雲上のこととして不干渉を装いたいところだが、如何に日本国憲法第1章第7条の「国事に関する行為」のご公務とは云え、ご高齢の御身を慮れば、日本国民のひとりとして看過するわけにはいかない。
生前退位をめぐっては、憲法第1条にあるように、天皇の地位は国民の総意に基くものであり、また、憲法第4条で示されるように、天皇は国政に関する権能を有さない等々、政治関与を制限されると云った問題が生じてくる。
憲法改正や特別法の制定など、生前退位に向けての手続きはかなり複雑極まるようだ。

しかしながら、東日本大震災や熊本地震、台風10号襲来により甚大な被害を被った岩手県北の被災地など、ご高齢をおし、また、病み上がりにも関わらず幾度となく足を運ばれ、見舞われるご様子を拝謁するにつけ、尊崇の念、畏敬の念を抱かずにはいられない。
被災者は勿論、運良く甚大な被害を免れた同じ被災地県民にとっても、本当に頭が下がる思いでいっぱいだ。
天皇皇后両陛下の被災地への訪問は、被災者にとって心底から励まされ、救われ、生きる希望をも見出したに違いない。本当に有難いことである。

ただ、その感謝の念以上に、ご高齢の御身が案じられてならないのは被災者全員、いや国民全体の感ずるところではないだろうか。
憲法第13条に、「全ての国民は個人として尊重され、立法その他の国政の上で・・・最大の尊重を必要とする」とある。
即ち、天皇陛下も国民のひとりとして法の下に平等であり、個人としての尊厳と、ご意思を尊重されて然るべきである。
それによって、日本国憲法第1章第1条の条文のように、天皇陛下の思いや願いを叶えることが、我々国民全体の願いであり、「総意」であると云えるのではないだろうか。


フォト短歌「ひかり」  


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