エッセイコーナー
835.責任の所在  2023年7月17日

冤罪事件は過去に足利事件や梅田事件、免田事件や島田事件など、本来なら無罪にも係わらず、強引な取り調べや証拠の捏造などにより有罪とされたケースが相当数ある。
1966年に静岡県で一家4人が殺害された袴田事件も、冤罪事件確定だと思っていた。
ところが、静岡地検は7月10日、再審公判で有罪を立証する方針を表明したとのことである。
この事件は今から57年前の1966年、静岡県の味噌製造会社専務宅で一家4人が殺害(袴田事件)された。
元従業員の袴田さんが犯人とされ、死刑が確定していた。

しかしながら、その証拠とされた味噌樽に入っていた血痕のついた着衣が、後から誰かが故意に入れたものだとみなされ、東京高裁は再審開始を認める決定を下した。
すなわち無罪の可能性が極めて高いと判断されたのである。
東京高裁では、後から誰かが故意に血痕の付いた着衣を入れたものとみなしたが、静岡地検による有罪立証によってどのような判決が下されるのだろうか。

真実は真実として、徹底的に明らかにする必要がある。しかしながら冤罪だけは絶対にあってはならない。
無実の罪により投獄され、辛酸を舐めながら人生を台無しにされることは、想像を絶する程のやるせなさ、悔しさを味わうことであろう。
私は大学時代法律を専攻し、ゼミは刑事訴訟法だった。そのゼミの中で冤罪事件を取り上げたが、憤懣やる方ない衝動に駆られたものだった。このような冤罪を排除する為にも、「取り調べの全面可視化」の必要性を痛感したものだった。
それと同時に、無罪を有罪にした「責任」についても問うべきだと思ったものである。

人の人生を奪うことに対する罪は決して軽いものではない。
「すみません、まちがいでした」では済まされる筈がない。何らかの責任を取るべきである。
そんな意味で、当事者の責任を問わない国家賠償法のあり方について、徹底的に見直す必要があるのではないだろうか。
検察のみならず、国の方向性を決める為政者や官僚も同様である。
現在果敢に廃止論や減税論が巷で叫ばれ、殆どの国民の願い、要望でもある消費税なる悪税もそうだ。
30年ほど前にヨーロッパ視察の折、フランスの間接税を参考に、視察中であった大蔵官僚の「思い付き」で始まったのがそもそもの始まりだそうだ。
消費税は、税制の基本である筈の応能負担ではない、低所得者層には重税となる応益負担を長らく続けてきた。
それも「社会保障の為だ」と嘘をついてである。

いつもながらだいぶ本旨から外れ、横道に逸れてしまったが、政策決定者には特に、しっかりと責任を取れる制度にしない限りは、同じことが繰り返され、一向にまともな社会、世の中にはならないのではないだろうか。


フォト短歌「あじさひいけ」

【無実の罪で無期懲役】警察の証拠捏造で29年間を奪われた男


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