エッセイコーナー
822.指導死  2023年6月16日

「指導死」という聞き慣れない言葉に唖然となった。
イジメによる子どもの自殺など、胸が張り裂けそうなあまりに悲しく切ないワードである。
人間のみならず、生を享けるもの全てが、何時かは必ずや死を受け入れざるを得ない時がくる。
数え93歳の父が、先日老衰の為天寿を全うし天に召された。
覚悟はしていたがそれですら悲しかった。況してや「人生これから」の子どもらの死、自死とあっては尚のこと、あまりにも不憫でならない。

指導死とは、教員らの行き過ぎた指導で、追い詰められた子どもが自殺に追いやられたときの言葉だそうだ。
2017年、東京板橋区の中学1年生(当時)が、教員の「指導」を受けた15分後に自らの命を絶ったとのこと。
子どもらに対し、心理的に追い込む陰湿で陰険な指導が今迄にも何度となくあったようだ。
2022年度には小中高校生の自殺者数が514人。1980年以降最多とのこと。
その約6割が原因不明だそうだ。

今から10年前、自ら命を絶った札幌市の当時高校1年は、裁判で「指導死」として認められたものの、学校側は今でも教員の「指導」が原因だとは認めていないそうだ。
同じ北海道の旭川市でも、「イジメによる凍死自殺」と云うあまりにも切なく悲しい事件があったにも拘わらず、2年程経った今でも学校側は未だに認めていないようである。
とは云え「学校側で・・・」云々と一言で云っても、殆どは立派な教員が多い。
昔は特に厳しい指導を受けたものだが、愛情を持って真剣に指導されることによって、寧ろ真剣に受け止め、畏敬の念を持って先生をリスペクトしたものだ。所謂愛のムチと云うやつである。

真剣でしかも心のこもった「熱血指導」は、生徒らの心底にしっかりと伝わったものだ。
それが次第に変わってきたのは、おそらく教職のサラリーマン化によるものと、主官庁の管理下による強制的な事務処理の押し付けや多さに原因があるのではないかと思えて仕方がない。
勿論、教職に就く為の人格的な資質の欠如、品格的或いは憐情のない教員もいる筈。個々的な度量や裁量の違いや人間性、人格的な相違は当然あるだろう。

ただ、それでは、一番被害を受け、悲しい目に遇うのは無防備な子どもらであり、その家族である。
そのことを先ずもって念頭に置きながら、適切で心のこもった指導を徹底していただきたいものである。
少子化対策として、侃侃諤諤、喧喧囂囂と永田町界隈で賑わっているが、教育制度のあり方について議論を深めるとともに、洞察力を持って財政観や貨幣観をしっかりと正した上で、児童手当の充実や子育て支援等々、上辺だけ、口先だけの少子化対策ではなく、真の異次元、いや本物の超次元の少子化対策励行に努めていただきたいものである。

洞察力を持って財政観や貨幣観を正す為の参考書>>


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