エッセイコーナー
716.おばあちゃんの手料理  2022年8月12日

今年もコロナ禍だが、お盆を迎え、盆棚の組み立てや飾りつけが無事に終わった。
僅か3・4日で片付けてしまうのだが、先祖代々数百年も続けられてきたこともあり、私の代で止める訳にもいかない。
盆棚の組み立てが終わり、次は位牌の拭き掃除である。
慎重にやらないと位牌にキズをつけたり、仏像の腕をポキっと折ったりすると大変だ。
位牌の中には今から35年前に亡くなった祖母の位牌もある。

拙歌ばかりだが、私が短歌を始めたのはこの祖母の影響が大きい。
祖母が詠んだ短歌を、水沢の叔母が揮毫した短冊を何本か家の中に掛けてある。
そのなかに、
「親よりの教えを守り冬至には取りおく南瓜甘く煮つくる(伊藤うめ)の一首がある。
祖母は津谷川(現在・岩手県一関市室根町津谷川)の生まれだが、福沢諭吉門下のひとりだった長兄を頼って上京し、浅草の女学校に通った。
祖母が短歌を詠み始めたのはおそらくその頃からだと思う。

祖父(伊藤安之)との馴れ初めは、当時祖父が小学校の教諭として津谷川小学校に赴任していた時に見合いで知り合ったようだ。
祖父は南瓜が大好きで、祖母が調理した南瓜をよく美味しそうに食べているのを覚えている。
祖父は甘党(私も同じ)でもあったが、お酒も大好きで、寄り合いの後などはいつもへべれけになって帰宅したことを今でも鮮明に覚えている。

祖母は料理も上手で、どの料理も美味しかった。
私の母は祖父と同様、小学校の教諭であったことから、転勤や朝が早かったこともあり、私や妹は祖母の手料理で育ったようなものだ。
祖母の手料理のなかで印象深かったのは、すいとん(この辺りでは「ハットウ」と呼んでいる)や蕗や筍などの煮付け料理、野菜料理やおでんなどなど、兎に角みな美味しかった。そのなかでも特に、私の一番のお気に入りは「もやし(小豆)料理」だった。料理と云っても、肉や魚を入れる訳でもなく、「もやし」のみである。

祖母が作るもやし料理は絶品であり、当時私が大学に進学することになり、自炊する為に祖母から作り方を伝授してもらった。しかしながら何度作ってみても、色々試してみてもどうしても祖母の味は出せなかった。
先日、母が入院したこともあり、久方ぶりに自炊し、祖母の味を思い出しながらもやし料理にチャレンジしてみたが、やはりどうしてもあの味を出すことは叶わなかった。
ほんのちょっとした匙加減なのだろうが、全く別物であり、ガラっと変わるものだ。
人生もまた然りである。

追記 <ありがたいお言葉に感謝>
明日の墓参りに向けて、先日の墓掃除の際に花を入れる容器が壊れていたことを思い出し、地元の葬儀店を訪れてみることにした。
店頭にお目当ての花入れ容器があったことから、購入しようと早速料金を確認すると「お金はいりませんからどうぞ使ってくださいな」と優しそうな女性店主からありがたいお言葉を頂戴した。
そんな訳にはいかないので、「では2セット購入するから是非お金を受け取ってください」と話すと、「おたくさんにあげるのではなくて、お仏さんにあげたいので是非使ってください」との過分な言葉に、素直に甘えることにして「まどか仏壇専門店」を後にしたのだった。
帰り際、車窓には空知らぬ雨が、ぽとりぽとりと落ちてきたのだった。


フォト短歌「メインはキュウリ」 祖母の短歌
昨年は失敗したことから、今年は地這いキュウリを含め、多目に植えた結果、食べきれないほど次から次と成る。もっとも嫌いじゃないので悪くはないのだけれども・・・。    

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