エッセイコーナー
185.体質改善は不可能なのか?  2016年4月22日

人の性格、性分と云うものはなかなか変えられないものだが、それと同じように、企業や国の体質もなかなか変えられそうにないようだ。2002年1月10日、大型トレーラーから走行中にタイヤがはずれ、歩行中の主婦に直撃して死亡するといった不遇の事故があった。
その事故に端を発し、三菱自動車のリコール隠しが明るみになり、社会問題となった。
その同社が、またもや不正行為の隠蔽で再び我々消費者を失望させることとなった。根本的な体質、隠蔽体質は変えられないと云うことなのか。次に購入する時は三菱車と思っていたが、実に残念でならない。

人の性格、企業の体質、いくら反省したところで根っこの部分は変えようがないと云うのが実態なのだろうか。
国の体質もやはり同じようなもので、政権が変わらなければ本質的には変わらないだろう。
先週から続いた熊本の群発地震の影響を懸念し、鹿児島にある川内原発を停止すべきと思うのが一般的な考えだと確信していたが、「問題ない、停止する必要なし」との判断を下した原子力推進委員会、オッと、失礼、原子力規制委員会委員長の発言には流石に驚いた。

本来ならば、原発事故と云う極めて重大で危険極まりない、とても厄介な事故と云う意味合いを鑑みると、十分に今回の群発地震は「危険」と判断するのが妥当ではないだろうか。
おそらく、結果的には大丈夫であろうとは思うけれども……。

また、今回の一連の群発地震は、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(昭和三十二年六 月十日法律第百六十六号) 「第六十四条第三項」の「急迫した危険」に該当するのではないだろうか。解釈の違いもあるかもしれないが、前述したように福島原発事故の壮絶さを考慮すれ ば、一旦停止して様子を見ることは当然の判断だと云えるのではないだろうか。
そんな意味あいからも、本来なら少しでも不安材料があれば停止すべきと判断する立場の規制委員会の筈だが、「なぜ?」と疑問に思うのは私だけではないと思う。

後に分かったことだが、
委員会の構成を確認することによって合点がいった。東日本大震災の福島原発事故の折り、本来なら原子力の監視役だった筈の「原子力安全・保安院」は、福島 原発事故の対応があまりにも杜撰であり、原発推進元の経産省のOBらで組織されていたこともあって、当時かなりの社会問題となった。それを解消すべく、原子力推進委員会、アッ、失礼、原子力規制委員会が2012年(平成24年)9月に発足した。本来なら、政治権力の及ばない独立した組織である筈だが、組織員の力関係により、中立性、公平性は崩れたと云っても、当たらずとも遠からずであろう。
また、その事務関係を担う原子力規制庁の職員(2012年9月当時)455名のうち、過半数の56%にあたる351名が経産省出身者であった。

発足した当時は、民主党(当時)の野田内閣だったが、最初の委員長および委員を選任する際に、設置法に定める要件に加えて、設置法の附帯決議の内容を踏まえた「原子力規制委員会委員長及び委員の要件について」(平成24年7月3日)とするガイドラインも参照して人選に当たった。
しかしながら、2014年(平成26年)、任期満了を迎える2委員に替わって新たな委員を選任するにあたり、第2次安倍内閣では同ガイドラインを考慮せ ず、また、新たなガイドラインを制定する予定もないことを明らかにした。
Wikipedia参照

結局のところ、危険な問題として解釈し、中立及び公平な立場で、適正な判断を下す筈の規制委員会が、体質の変わらない欺瞞体質から抜けられない状況の下で、独立性を持ってしまった。
丸川環境大臣は「その独立性を尊重すべき」として政治介入を避けたようだが、今回の事のみならず、もしも原発事故の原因がそこにあるとするならば、誰が、どのように責任を取るのだろうか。

原子力規制委員会田中俊一委員長の悲しい変貌>>


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