エッセイコーナー
105.高橋克彦さん講演会に学ぶ  2014年11月3日  

一関文化センターの大ホールで、高橋克彦さんによる文化講演会が行われた。
演題は「和の心」
午後2時から約1時間半の実に内容の濃い素晴らしいご講話だった。
高橋克彦さんといえば、『緋い記憶』で第106回直木賞受賞、江戸川乱歩賞、日本ミステリー文学大賞、吉川英治文学賞などの受賞者であり、1993年のNHK大河ドラマ『炎立つ』、2001年の『北条時宗』の原作者としても知られる我々岩手県民の誇りでもある。
ご講演は意味深い内容が多く、とても勉強になった。

「控え控え、この紋所が目に入らぬか」でお馴染みの徳川光圀(水戸黄門)公の諸国漫遊は、北条時頼公の漫遊を参考にしたものだったとのこと。
当時、時頼は一介の僧侶に扮し、諸国漫遊した折り、厳寒の岩手県を訪れた時にとある民家に立ち寄った。北条時頼であることを知る由もないその民家の主人が、ただ一心に寒さを和らげようと、資源の乏しい最中にも係わらず大切にしてあった植木の松から枝を切り取り、それを暖にしたとのこと。
打算的意味など一切ない「モノを持って成し遂げる」といった純粋で心暖まる行為に、北条時頼は深く感銘を受け、それから「おもてなしの精神」が世に広がったのではないかとのことだった。

また、正月に関するエピソードや、黄泉(よみ)や和(わ)の語源などを通して漢字の変遷、或いは出雲の国譲りの神話は虚偽だったこと、「私」と「和」はもともと一緒だったことなど、また、方言に対する言葉の差別などの経緯などなど、色々勉強になることばかりだった。

平泉文化が、2011年6月に世界文化遺産に登録されたが、

「右に、一音の覃(およ)ぶ所千界を限らず。苦しみを抜きて、樂を興へ、普く皆平等なり。官軍と夷虜(いりょ)の死事、古来幾多なり。毛羽鱗介の屠(と)を受くるもの、過現無量なり。
精魂は、皆他方の界に去り、朽骨は猶此土(しど)の塵となる。
鐘聲の地を動かす毎に、冤霊(えんれい)をして、浄刹(じょうさ つ)に導かしめん」

供養願文にもあるように、官軍や夷虜、毛羽鱗介の分別を問わず、それらの魂は皆他方の世界に行く。
その魂を鎮めるためにも、浄土の世界を築き上げ、藤原3代による100年以上も続いたその文化や精神が浸透した「和」の精神を、脈々と今も受け継がれてきている。

東日本大震災の折り、被災地となった東北人の、和の精神を重んじ、自分のことよりも先ず他人の事を気遣う愛他的精神の様子などを観て、イコモスの心が動いたのではないかとの持論に、私も共感したのだった。



高校時代の応援団リーダーの後輩である梅内君が、亡くなったとのこと。
心よりお悔やみ申し上げます。



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