エッセイコーナー
34.助け合いのこころ  2011年4月11日

日本、いや全世界を震撼させた東日本大震災も発生から一カ月をむかえた。
死者・行方不明者合わせて28000人を超えるともいわれ、今尚行方不明者の確認がとれていないのが現状であり、更に、未だに収まらない余震の影響により捜索活動に支障をきたしている。
4月7日午後11時32分には、ここ一関市でも震度6弱を記録した大きな余震があったが、被害は3月11日よりも更に大きかった。

18都道県約2300カ所の避難所には、約16万人もの被災者の方達が避難所生活を余儀なくされ、窮屈でしかも不便な生活を送っている。
仮設住宅などの建設が急ピッチで行われている一方、建設予定地の目途がなかなか立たない地域もあるようだ。
被災者の方達は、着の身着のままの状態で津波から逃げてきた。その為、何も残っていないのである。
自宅や事務所が津波にのみ込まれ粉々になって跡形もない状態である。家財道具や現金、布団や衣類、ご飯を食べる為の茶碗や、食べた後歯を磨く歯ブラシすらも、何もかもが全て一瞬のうちに失ってしまったのである。

そんな悲惨な状況におかれた被災者の為に、少しでも役に立って貰おうと日本全国、世界各国から心のこもる支援の手が差し伸べられ、その支援の輪が次第に広がっている。
日本ではソフトバンクの孫正義代表が100億円の義援金と、更には今後の役員報酬全てを支援に回すと話していた。
セブンイレブンではグループ合わせて28億円の寄付、楽天の三木谷氏とユニクロの柳井会長が個人で10億円。
スポーツ界では石川遼君が今年の賞金全額と、1バーディーにつき10万円寄付するとの事である。
また、被災地の各地ではNPOを中心にした支援活動を地道に励んでいたり、ボランティアの人達が現地に赴き支援活動を根気強く続けている。

私の知り合いでも、災害発生直後から足繁く物資を運び続けている人達がいる。地震直後はインフラの遮断により燃料の供給がままならなかった。
にも係わらず、所有する重機の燃料タンクから運搬用のトラックに移し、帰りの燃料が心配であるにも係わらず、ただただ被災者の事だけを思い、考え、気遣い、それを実行する素晴らしい人物がいる。
2年程前、私がある取材で訪れ、それ以来懇意にさせて頂いている人物、北上市在住の高橋静雄(66歳)さんだが、
以前私のブログで「岩手の大将」として紹介させて頂いた事があるが、それ以来、そう呼ばれるようになったようだ。

その岩手の大将こと高橋静雄さんの、身を粉にして被災者の為に尽くす姿を見て、従業員など周りの人達や、大将の娘さんの知人らが集まりボランティアでその活動を支えている。支援の輪が着々と広がっているのである。
また、ブログなどの呼びかけにより、四国高松市在住の心ある人から、或いは千葉県千葉市幕張本郷でパン屋さんを営む心優しい方から、日本各地の心の優しい人達から心のこもった支援物資や義援金が届き始めている。

ただ、非常に残念に思う事は、被災者の方達、本当に困っている人達の事だけを思い考え、一生懸命になって支援し、純粋に支えようとしている善意ある人達に対して「偽善だの、売名行為だの」とおそらく妬みからだろうと思うが陰口をたたく連中が少なからずいるというのが現実だ。
陰でごちゃごちゃ言う連中は器の小さい狭量な人間や、自分の事しか考えない人間が多いが、少なくとも、私の知る岩手の大将や、手伝いにきているボランティアの人達はそんな器の小さい人達ではない。
私が一番危惧している事は、そのような狭量な人間による陰口によって、真の善意の気持ちが揺らいでくるのではないかという事だ。万が一そうなったとして、一番困るのは罪のない被災者の方達である。全てを失い、途方に暮れている被災者だという事を忘れてはならない。

大将は話していた。
震災からある程度時間が経ち、「必要とする物も次第に変わり多岐に渡ってきているようだ」と。
精神的にも少しずつ落ち着いてきている事もあって、私達が常日頃当たり前のように過ごす上で、癒をもたらす物や笑える事などの娯楽的要素のあるものが必要になってきているようだ(勿論、食料や衣服は未だに不足している)。
たとえば心を和ませる花などのように、想像力を働かせながら支援物資を選ぶ必要がある。

しかしながら、何といっても一番重要な事は直接被災者の声を聞く事である。そういう意味に於いて、何度も何度も被災地へ支援物資を運び、生の声を直接聞き、その情報を元に支援物資の調達をしている大将のやり方が、被災者の立場になって考えた上で非常に有効的であるのではないだろうか。
支援物資を運ぶ際、一般的には物資を箱に詰め込んで持っていき、大概はトラックの荷台からどんと降ろしてそれで終わりのようだ。
しかしながらそれでは不必要な物までそこに置いていく事になったり、本当に必要としている人の手にはなかなか届かないと大将は話していた。

大将のやり方は、被災地に行って直ぐ、最初に箱から出して、服やズボンなどはハンガーに掛けてやり、直接手に取らせて選んでもらい、選んだ以外の物はまた別の被災地に持っていき、同じようにハンガーに掛けて選んでもらうようにすると話していた。
「ただ単に届ければそれでいいというものではない」と大将は教えてくれた。
大将が言うように、ほんの些細な事だが、目に見えない心配りが大事なのだろう。しかしながら、出来そうでいてなかなか出来ないものである。それを簡単にも実行する大将はやはり凄い人だ。

最後に、
我々東北の人間は、数百年いや数千年もの長い年月の中で、幾度となく大雪や吹雪に見舞われ、酷寒のもと凍えながらも耐えに耐え、大冷害となり、米が一俵もとれなかったとしても、稗や芋を食い、幾度となく襲ってきた大津波にのみ込まれ、全ての物を失おうとも、何度も何度も立ち上がり、あらゆる自然災害や人災に対しても、決してめげることのない不屈の精神と肉体の遺伝子が、脈々と受け継がれてきているのである。
だから、どんな困難にも耐え抜く、底知れぬ力と戦う勇気が、我々東北人にはしっかりと宿っている。
愚公移山の如く、絶対に諦めることなく、何時の日か必ず復興を遂げてみせる!

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