エッセイコーナー
675.敵国条項の再確認  2022年3月14日

コロナ禍のもと、全人類が一眼となってコロナと戦わなければならない時に、何故、人間同士が殺し合わなければならないのか。
何故、貶し合い、傷つけ合わなければならないのか・・・。

東欧の共和制国家ウクライナでは、武器など持ったこともない一般市民、老人や子供までもが何故銃弾の標的にされなければならないのか。
停戦合意が破られ、人道回廊が機能せず、1500人以上の民間人が犠牲となり、命を落としている。
あまりにも悲しい。あまりにも切ない。あまりにも酷い。

狂気じみた指導者とそれに従う一部の権力者の為に、同じロシア国民もまたその犠牲となっている。
戦争を拒絶し、抵抗する国民を強制的に拘束したり排除している。
また、他国で暮らす何の罪なきロシア出身者たちが誹謗や中傷に晒されている。
日本も例外ではない。
ロシア出身者に対する偏見や誹謗中傷が後を絶たないと云う。
全く情けない話である。彼ら彼女らになんの罪があるのだろうか。
同じ日本人として恥ずかしい。ロシア出身と云うだけで何の罪もない人たちへの偏見や誹謗中傷は絶対に止めるべきだ。「日本人の恥だ」と云わざるを得ない。

今回のウクライナへのロシア軍の侵略行為、特に原爆使用を仄めかす振る舞いにより、日本も俄に核武装論議が高まっている。
国是である非核三原則を再度検討し、核の抑止力を歓迎する声が高まっている。
はてさて、如何なものか!

国際条約に該当する国連憲章に敵国条項と云う条文がある。
これは第二次世界大戦時に於いて、連合国の敵国であった国に対する措置を規定(第53条および第107条)したものだが、憲章8章の第53条第1項後段(安保理の許可の例外規定)には、「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項を無効に、または排除した場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できないとしている。
また敵国の侵略政策の再現に備える地域的取極がなされている場合も、安保理の許可がなくとも敵国に対して制裁(軍事的若しくは経済的な。憲章第7章定義)を課すことができる。とある。(Wikipedia)参照

つまり我が日本は、その敵国条項に当て嵌まり、不穏な空気を醸し出した時点で、前述した憲章8章の第53条第1項後段(安保理の許可の例外規定)により、何らかの制裁を免れない立場にあると云うことだけはしっかりと認識しておく必要がある。
もし日本が核武装するとなると、日本に対する圧力は他国の比ではないと考えられる。
第二次世界大戦から70年以上も経ち、「いつまでそんな汚名を・・・」と義憤を覚えずにはいられないが、現実問題として否定し難い現実がそこにはある。
核のシェア、核武装云々を議論する前に、そのことをしっかりと念頭に置いた上で、慎重に、尚且丁寧に、侃侃諤諤と議論していただきたいものだ。


フォト短歌「ディーク・T」  


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