エッセイコーナー
209.オリンピックの意義  2016年10月15日

希望郷いわて国体の本競技も無事に終わり、岩手県では一週間後の22日から第16回全国障害者スポーツ大会(10月22日~10月24日)が開催される。リオ五輪のメダリストたちも来県し、パフォーマンスをしっかりと発揮してくれるのではないだろうか。是非とも注目していきたい。
スポーツの持つ意義を、今更ながら述べるまでもないが、世界平和のカギを握る一つとして、スポーツがあると私は確信している。
スポーツマンシップに則り、正々堂々と闘いながらも、勝ち負けを越えたところに相互の信頼関係を築き、友情関係が育まれるのではないだろうか。
その延長線上にあるのが、世界平和であると私は確信している。

その平和の祭典とも云えるオリンピック競技が、4年後の2020年に日本の中心、首都東京で開催される。
東京五輪の招致が決定したのは2013年9月。以後、現在までに色んな問題が噴出してきた。
メイン会場である新国立競技場の設計をめぐり一悶着も二悶着もあった。東京五輪のエンブレムをめぐってもまたすったもんだあった。
今はと云うと、招致段階での大会経費当初予算額は7.340億円だったものが、今ではその4倍の3兆円を超えるとみられており、その予算超過の責任問題に、丁々発止と擦り合いの応酬ときている。

東京五輪にかかる経費は「東京都と組織委員会が負担すべきだ」との財務大臣の弁。
確かに、「東京五輪」と云う独立した呼称から、東京都の単独プロジェクトと云うイメージも払拭できない。
しかしながら、それではあまりにも残忍酷薄ではないだろうか。だいいち国は、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣の発令、内閣官房2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室の設置及び東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会を設立している。
過去に日本で開催されたオリンピックでは、1964年の東京大会及び1972年の札幌冬季大会でも担当大臣の発令があり、国が大いに関わってきた。「国家的プロジェクト」と云う認識があってのことではないだろうか。

もはやオリンピックは単なるスポーツの祭典にとどまらず、世界平和を念頭に置く「平和の祭典」であると云っても過言ではない。
ここ迄来たら国も本腰を入れ、東京五輪の成功に向けて頑張って頂きたい。
また、東京都会場のみならず、復興を早め、後押しする上でも非常に有意義な被災地での競技会場誘致を、是非とも実現して頂きたい。
競技を主催する競技団体役員への説得は、震災復興の大義を真摯に唱えることによって十ニ分に理解してくれる筈。
スポーツマンシップを持つ役員ならば、必ずや心の琴線に触れ、理解を示してくれるに違いない。




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