エッセイコーナー
785.姥捨て山化する「冷和」の時代  2023年2月25日

姥捨て山とは、年老いて働けなくなった老人を、口減らしの為に山に捨てると云った棄老伝説を、民話としていい伝えられてきたものだが、真偽の程は定かでないが、それがもし事実だとしたら、あまりにも切なく、悲しいことである。
21世紀の今では全く考えも及ばないが、あろうことか近代化の進むこの令(冷)和の時代に、「姥捨て山」の再来を望む声が聞こえてきた。そのことは日本のみならず世界でも取り上げられ、炎上しているとのことである。

高齢化が進み、少子化問題が深刻な状況にある今日、少数の若者で多くの高齢者を支えるのは不相応だとして、「高齢者は集団自決、集団切腹すべきだ」と、言論の自由を盾に公然と唱える経済学者がいる。
古今の世界歴史に類をみないとんでもない戲言、愚言の蛮行である。
当人とて両親や祖父母が居るだろう。その親や祖父母に「自決しろ、腹を切れ」と、面と向かって謂えるのか。
自身の胸中で自問すること自体恥ずべきことだと思うが、平然と公言するのは常軌を逸しているとしかいいようがない。

また、それを当然かのようにメディアが放送する現状に、失望感を覚えずにはいられない。
「面白ければ誰でもいい」と云った、視聴者の「受け」のみを狙った節操のないメディアの対応に、幻滅するばかりである。「口は禍の元也」ブーメランの如く、最終的には自分に返ってくることを肝に銘じ、過度な強言は慎むべきである。
耳目集めの発言かとも思われるが、だとしてもいい過ぎ極まりない非常識な言動である。

確かに、長年役職にしがみつく高齢者を揶揄する発言ともとれるが、であったとしても「集団自決」と云うフレーズは沖縄戦での強制集団死や、ややもすると相模原の障害者施設19人殺害事件の凄惨な残虐行為まで、想起させる絶望的な文言である。
あまりにも非常識な常軌を逸した言動であると云わざるを得ない。
まがりなりにも、当人は新進気鋭の経済学者だとのことだが、本来なら国民の仕合せの為に、経済学者として活動し、教壇に立つ身であるべきだ。

高齢者も若者も仕合せに暮らせる為に経済活動を模索し、究明すべき立場ではないのか。
経済の語源は「経世(国)済民」世(国)を経めて民を救うのが本来の目的である筈。決して自決させる為の学問でもなければ腹切りを助長させる為の学問ではない筈だ。
我田引水、自分さえ、或いは自分らの世代さえ良ければいいなどと云うのは寧ろ経済学を汚す行為に他ならない。
自決、切腹させない為の経済理論を提唱するのが真の経済学者ではないのか。

そもそもこのような愚考を生む背景には、誤った財政観、貨幣観に基づきながら経済を考察し、論考しているからに他ならない。
1929年に始まり1930年代後半迄続いた世界大恐慌を経験し、その猛省から金本位制を脱却し、管理通貨制度を取り入れて既に80年が経つ。いい加減に目を覚ましてほしい。


フォト短歌「デラシネ」


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