エッセイコーナー
191.火中の栗  2016年5月26日

いよいよ明日、アメリカの大統領が広島を訪問する歴史的な一日になる。
原爆投下の史実について、アメリカ側では陳謝すべきでないとの意見が圧倒的なようだ。
「原爆を使わなかったら戦争は終わらなかった」との一面的な意見だが、原爆の犠牲になった殆どの人は一般市民である。小学生の子どもや出勤途中の女性など、老若男女問わず、ごくごく一般の戦争とは無関係の一般市民が犠牲になった。しかも広島に続き長崎の2箇所にである。

今更謝って済む問題でもないだろうが、昨日の日米首脳会談後の記者会見では、海外の女性記者が安部総理に対して「真珠湾には行かないのか」と尋ねていた。
問題の本質があまりにも違うのではないかと、疑問に思った次第である。
ただ言えることは、反発や圧力を十分理解した上で、広島訪問を決断したオバマ大統領は本当に素晴らしいと思う。

彼のような穏健で聡明な人物こそが、世界のトップリーダーで居続けてくれることを願うばかりだ。
次期大統領選で揉めに揉めているようだが、火中の栗(解釈も様々、ここではポジィティブな意味で)を拾う勇気、犠牲的精神、覚悟のない人物では世界の火種が益々増えるばかりではないだろうか。

二重被爆

フォト短歌「薄紅の空」  



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