エッセイコーナー
684.色川武大の『夜風の縺れ』  2022年4月15日

『夜風の縺れ』は色川武大(阿佐田哲也)が月刊誌などへの寄稿文や短編小説を纏めた一冊だが、日記の中から見つかった未発表の草稿も収められている。
色川は晩年、岩手県一関市で過ごしたが、1989年4月10日に帰らぬ人となった。
当時60才、死因は心筋破裂だったようだ。
一関には僅かひと月程しか生活していないが、一関に移り住むきっかけとなったのが、ジャズ喫茶「ベーシー」だと云われている。

新刊の『夜風の縺れ』にベーシーや一関のことが載っているかと思ったが、残念ながらそれらしい箇所は見当たらなかった。色川武大は阿佐田哲也として『麻雀放浪記』を著し、あまりにも有名な小説だが、色川は雀士としてもかなりの腕前だったようだ。
本著の中で、特にギャンブルに関するエッセイには「なるほど」と頷ける箇所が随所に見受けられた。
また、「処世学を学ぶとしたら」との問に対する色川の返答がまた興味をそそられた。

以下本文より
「私は学業放棄者で、中学の中途までしか教室に居られず、それも教師のいうことなどまるで聞いてもいなかった。だから、人に物を習う、という機能がほとんど育っていない。その上、そういう不行跡をあまり反省していないので、誰に、何を教わりたいか、などと訊かれるのが一番困る。」とある。
更に、「私がやっていることは、小説にしても、ばくちにしても、徒弟で技術を身につけていくという種類のものではない。勝手に自分で執着して居座っているうちに、周辺を喰って育っていくようなところがある。もし師にしたいような、自分よりも大きな存在があれば、なんとかして喰らい殺そうと思うのが自然であるまいか。」
と・・・。

また、もし師にするとしたら、「世阿弥」だとも云っている。
世阿弥は博打をさせたらかなり強いのではないか。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」世阿弥の著した『花伝書』はばくち打ちが心して読むべき本だとも云っている。
また、世阿弥以外に、出雲の阿国(おくに)や曽呂利新左衛門や岸信介。曽呂利や岸は嫌な人物だがとの前置きがある。
また特に惹かれた文言は、歴史の中の隅の部分に、「精神的な人物がぽつりぽつりと居る」とも云っている。
色川が云うように、師として仰ぎたい本物の人物は、社会の隅っこに隠れているものなのかもしれない。

色川武大と阿佐田哲也の世界  2018年3月3日
いちのせき文学の蔵 館内の様子


フォト詩歌「戦禍の明かり」 フォト短歌「夜風の縺れ」


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