エッセイコーナー
681.中学時代の良き先輩たち  2022年4月5日

今朝、地元紙を捲っていると、いきなり見覚えのある顔写真が目に飛び込んできた。
中学時代一級先輩の小野寺啓一さんである。4月1日付けで地元の私学、一関学院高校の校長に就任したとのこと。
後輩としては実に嬉しい限りだ。

一関学院高校のOBはと云うと、真っ先に岩渕麗楽ちゃんが思い浮かぶ。
先日の北京冬季オリンピックでは惜しくもメダルを逃したが、スノーボード女子ビッグエアの決勝で「トリプルコークアンダーフリップ1260」と云う、女子では史上初の大技にチャレンジした。
しかしながら、残念にも着地は失敗したが出場選手らから絶賛、至極の称賛を受けていた。
その超凡な勇気とチャレンジに対して、バッハIOC会長から五輪モデルの腕時計を贈呈されたことは記憶に新しい。

他にも、野球や駅伝が強く、特に駅伝は全国高校駅伝大会の常連校として有名だ。
その陸上部のOBで、小野寺啓一先輩とは中学時代の同級生に千葉照夫(故)さんがいた。
千葉照夫さんは高校卒業後、地元のNEC(東北日本電気)に就職。陸上部に入ってその健脚ぶりを発揮した。
私の記憶では、当時のホノルルマラソンで7位に入賞したと記憶している。
他にも1985年の毎日マラソンで4位。別府大分毎日マラソンで3位入賞など、岩手の長距離界では知る人ぞ知る長距離ランナーのひとりだった。

かく云う私も、本来は白筋使用の競技(短距離や投擲)がメインだったが、中学1年生当時から駅伝の選手として抜擢され、2年生・3年生時は共にアンカーを務め、市内の大会では2年当時1位、3年当時は2位だった。
また、2年生の時には全校マラソン大会(5km程度と記憶)で千葉照夫さんに次いで2位。
話は逸れてしまったが、前出の小野寺啓一先輩も長距離は結構速かったように記憶(?)している。
それは兎も角として、とても優しい先輩であった。
一関学院高校の校長として、生徒らを是非とも世界で活躍出来るよう、一関市民の名誉の為にも、指導していただきたいものである。

余談
一関・文学の蔵が文芸・文化誌として発刊する会誌『ふみくら6号』の原稿が揃った。
後は校正に入り、6月上旬の発刊を目指すが、実はその『ふみくら』の編集の手伝いを、当時会長の及川和男(故)先生の命を受け、小野寺啓一先輩に頼んだことがあった。しかしながら当時副校長として多忙につき体よく断られた。
一段落したら是非また頼んでみたい。もっとも、校長だから更に多忙なのかな・・・。


フォト短歌「ノビルのぶ」 小野寺啓一  
     
 



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