エッセイコーナー
493.独り釣行「幽玄岩魚」  2020年6月13日

6月の中旬、釣心をそそる季節ともなれば如何ともし難く、一巡目の草刈りが終了したこともあって、いそいそと渓を目指した。
いつもなら、神奈川県在住の息子の帰省に合わせての釣行だが、今年は新型コロナ問題で越県は叶わず、已む無く一人の釣行と相成った。
目指す釣り場は過去に数本の尺越え岩魚を釣り上げた場所。
息子とよく来る場所だが、一人釣行となると危険な釣行は避けたい。

以前、独りでの渡渉の折、前方を塞ぐ大きな石巌を乗り越えようと、草付きを握りながらよじ登ろうとした。ところが、根が浅かった為かもんどり打った。下は岩場である。
背負っていた真っ赤なリュックが背中への衝撃を抑え、事なきを得たのだったが、途中スローモーションの様にゆっくりと周りの景色が見えたことを憶えている。
以前、バイクで突っ込んだ時もやはりスローモーションだった。断末魔の時もやはりスローモーションで時間がゆっくりと流れるのではあるまいか。

ここ暫く雨が降らず、渇水状態の渓相を想定しており、釣果はあまり期待していなかった。
些少ではあったが、昨夜の雨、低気圧の影響によってか、魚たちの活性が多少は上がったようである。
エゴ の周辺に、木化けとなって慎重に針を流し込むと、良型の岩魚が竿先を撓ませ、道糸が切れんばかりに張り詰めた。
脈釣りの醍醐味である指先の感覚が研ぎ澄まされ、ぞくぞくと、その感覚は電光石火の如く脳裡及び心肝にまで達した。全ての神経は右手人差し指の一点に絞られている。
濃緑の樹間をぬい、木漏れ日がキラキラと水面を照らし、揺らめいている。その静やかで清冽な水面から、発行体さながらの様相を呈し、キラキラと光を放ちながら幽玄の岩魚が姿を現した。
暫しの間、山の精霊たちと心の会話を交わしながら、私は自然の懐に身をゆだねた。

若き頃、渓流釣りに夢中になっていた当時、「死に場所は大自然に囲まれた渓谷がいい」と思ったものだが、その所懐は今も変わってはいない。
ここ最近、悲哀感や愛惜の念にかられていただけに、一時だが自然に身をゆだねることにより、その感傷から逃れることができたようだ。
いつものように山の神や渓谷の精霊に一礼し、畏敬の念を持って感謝の意を収め、帰路に就いたのだった。


フォト短歌「幽玄岩魚」  


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