エッセイコーナー
21.善の心とは  2010年5月15日

奉仕の心を持ち、徳を積んだあるお祖母さんの話である。
今では、駅員の居ない無人駅となった、近くの“ゆだ錦秋湖駅”に、毎日のように足繁く通っては掃除をしていたのだという。以前どこかのニュースで、駅舎の屋根を無償で手直ししているご老人の姿が映っていたが、やはりそこも無人の駅だったように記憶している。

ご高齢の身でありながらも、高い屋根に上って「危ないな」と、思いながらそのニュースに見入ったものだった。
車を走らせていると、常識の無い連中によって投げ捨てられたゴミや空き缶を、左手にビニール袋を、右手には火バサミを持ちながら、ゴミ拾いをされている姿を時折見かける。私も、それを手本にしたいと、犬の散歩を兼ね、ゴミ拾いを日課にしようとしたのだが、なかなか続けられるものではなかった。
継続する事の難しさを、改めて思い知らされたものだった。前でのお祖母さんもそうだが、“奉仕の精神”を重んじ、日課にされたというのは、並大抵の努力ではなかったに違いない。しかも無償のボランティアである。

ある日、駅の点検に訪れていた隣の駅長が、「是非お礼したい」と申し出たとの事。ところが、お祖母さんはあっさりと断ったそうだ。
「私は、毎日この駅を利用している学生や、サラリーマンが、気持ち良く利用出来るように」と、ただそう思ってやっているだけだと言って、頑としてお礼を受け取ろうとはしなかったそうだ。

世間では、お金の為にのみ行動する人が多い中、本当に頭が下がる思いである。だが、そのお祖母さんも病には勝てず、“帰らぬ人”となったが、たとえ天に召されようとも、善の行為や、奉仕の心は脈々と受け継がれ、仏教の教えである転生輪廻として、又、キリスト教でいう復活として、因果の法則に従い、徳の心を持った善人となり、再びこの世に現れるものと、信じて止まない。

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