エッセイコーナー
741.菊田顕君に捧ぐ「弔辞 穏しかる寝顔」  2022年10月22日

2022年10月13日未明、歌友の菊田顕君が帰らぬ人となった。
そのうち合同歌集を出版しようと話していた矢先のことだった。
菊田君とは短歌のみならず、高校時代は同じ理数科に席を置き、応援団リーダー(以降は応援団)として過酷な訓練に耐えてきた同志であり、戦友でもある。

当時、応援団の訓練は想像を絶する程厳しく、血尿が出るほど過酷だった。
他校の応援団は、一般的にクラブ活動の一環として、一年生から時間をかけてタクトや旗振りの技術を磨くが、当時の我校は選挙制を採用しており、約1年間の任期だった。しかも応援団は10人と決まっていた。
選挙は確か5月、上級生は受験の為8月迄の任期。夏休み明けの8月下旬からは新人の応援団が一切を仕切らなければならなかった。その為、僅か3ヶ月(だったと記憶)程で応援のタクトなどを完璧に仕上げなければならなった。
それが故に訓練は過酷極りないものであった。

今では即PTAなどに騒がれ、問題になるが、当時は許されていた。と云うか、それが伝統であり、黙認されていたと云った方が正しいかもしれない。
その為、なかなか応援団になろうとする者(私の場合は厳しかろうが辛かろうが最初から応援団になるつもりだった)が出て来なかった。

しかしながら前述したように、訓練の厳しさを皆、風の便りで知っていたことから、尻込みをしていた。
ただ、何としても10人揃えなければならない。
その為、授業終了後、各学級で遅くまで残り、話し合いが続いた。
女子生徒などは泣く者もいたと記憶している。
そんな緊迫した状況を嘆き、犠牲的精神を持って立候補したのが菊田顕君であった。

菊田君は正義感も強く、寡黙で、しかも責任感があり、兎にも角にも真面目だった。また、心の優しい人物でもあった。
母親の介護をやりながら朝から晩まで身を粉にして働いていた。
不整脈で病院に通っていたようだが、おそらく、それらの過労が祟ってのことだったように思う。
コロナ禍のもと、弔事も以前の様な訳にはいかず、葬儀も一般者はお焼香のみだったが、どうしても顔を見て別れを告げたかったことから、ご家族に、火葬する前に顔を拝ませて欲しいと拝眉した。

その横顔は実に穏やかだった。まるで何事もなかったかのように、ただただ、静かに寝っているように見えた。
今でもその穏やかな寝顔が、瞼の奥にしっかりと残っている。
菊田君へ哀悼の念を込め、生前菊田君が詠んだ短歌の中から16首と高校当時の写真、当時の応援団と久方ぶりに会った時の写真などをYoutubeに残すことにする。


フォト短歌「菊田顕君」  


  弔 辞

菊田君 謹んでご逝去を悼み 生前の友情に心より感謝と 改めて御礼を申し上げます 
菊田君とは高校時代同じ応援団リーダーとして合宿等で過酷な訓練に耐えてきましたね 校庭の土手に十人横一列に並び腕立て伏せを百回 一人でも脱落すると連帯責任として最初からまた百回 その繰り返しを何度もしましたね 持久力を養うために延々と走り続け タクトを決めるために 両手に小石を握りながら前へ倣えを三十分以上 横一直線に手を広げてまた三十分以上 最初のうちは蝉の声が聞こえていましたが 次第に苦痛のためか全ての感覚が麻痺したようでしたね ある時は血尿を出すなど 兎にも角にもきつく苦しい訓練だったことを 今でも走馬灯のように当時を思い出します 発声練習も声が枯れるまで頑張りましたね 菊田君の声は十人の中でも特に遠くまで届きました あの厳しい訓練を一緒に乗り越えてきた同志であり 戦友です 
社会人になってからも 応援団の連中と親交を深めてきましたが 残念ながら新型コロナのパンデミック以降なかなか集まりを持つことが許されず かなり寂しい思いをしておりました しかしながらここに来て ようやく収束に向かいつつあることから 来春にでも再開しようかとつい先日も話したばかりでしたね
また菊田君とは趣味も共通しており 特に短歌ではお互い切磋琢磨しておりました 何年か前の岩手県歌人クラブの機関誌に「短歌の師」と題して私の名前も入れていただきましたこと 実に嬉しく思ったものです ただ短歌のセンスや実力では菊田君の方が遥かに上でした 菊田君の歌は多くの短歌大会で認められ 数多の受賞歴を誇りますが 中でも二〇一八年の第四十七回全国短歌大会(現代歌人協会主催 朝日新聞社後援)では大会賞に輝き 最高の賞を受賞しました その大会で幸いなことに私の一首も佳作に入選しました しかしながらその大会では表彰式に出席しないと入賞の記念品が貰えないという規定がありました 私は仕事の都合上どうしても東京には行けなかったのですが 有り難くも心優しい菊田君の計らいで 賞状と賞品を持ってきてくれましたね あの時は本当に嬉しく思ったものです 
本来なら一昨日(二〇二二年一〇月一五日)奥州市民芸術文化祭短歌大会に同席する筈でしたが 残念で残念で仕方ありません 

休日は自分を好きになるための時間 ま白き靴と旅する

この一首は前述した二〇一八年の第四十七回全国短歌大会で最高賞を獲得した一首です 黄泉の国で真っ白いシューズを履き 自分のための新たな旅に出て 思う存分やりたいこと 目指したいことを是非ともやってください 今度は自分自身のために楽しんでください 最後に一首献詠したいと思います

いずれまた酒と肴を題材に歌を詠みたし友らとともに 

菊田君 今まで本当にありがとう 心より感謝申し上げます

                                             令和四年一〇月一七日 歌友 伊藤英伸



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