エッセイコーナー
35.情けは人の為ならず 2011年5月22日

よく耳にすることわざの一つに「情けは人の為ならず」というのがある。
ただ、この解釈を巡って、時代による社会情勢の変化に伴い、持つ意味合いが違ったものに置き換えられつつあるようだ。その要因の一つが「為ならず」の解釈の仕方で、「為にあらず」と解釈していまうとまったく違った意味に受け取ってしまう。
本来の意味は、「人に情けをかける事によって、結局はその人の為にならないのだ」という意味ではなく、「人に情けをかけておく事により、巡り巡って結局は自分に戻るものだ」というのが本来の意味である。

最近では前者の意味で、使われる場合が往々にしてあるようだ。
その可否云々は別にしても、歴史的背景によって、ことわざの解釈も変化しているというのが現実のようだ。
本来の意味ではないが、その前者の意味を参考にしていうと、今回の震災で犠牲になった被災者の方々に対して、「情けをかける事が果たして良いのか悪いのか」という議論も成り立ち、現に、そんな意見を述べている人達も少なからずいるようだ。

しかしながら、今回の未曾有の大災害による犠牲者の方々に対し、「情けをかけない方が本人らにとっても良い筈だ」と果たして言えるのだろうか。
全ての物を失ったのである。何もかも失ったのである。
こんな時こそ、人の情けが必要なのではないだろうか。時と場合によりけりだと私は思っている。
ただ、「情けは人の為ならず」の本来の意味、つまり、「人に情けをかけておく事により、巡り巡って結局は自分に戻るんだ」との意味において、見返りに対する浅はかな計算や軽挙妄動な行為、偽善や売名行為などとの批判や見方はどうしても付いて回るものだ。

現に私の知人でも、純粋に、しかも真剣に被災者の方達の事を心配して、色んな形で奉仕活動を続けている人達がいる。
その善意の心を持った人らに対して、偽善だ売名行為だと陰口をたたく連中が少なからずいるようだ。
私が聞いた話の中で、一番激怒した話は、私の知人の一人に非常に心優しい若者がいる。
その彼が、数週間にも渡り被災地に赴き、地域住民の為にと、身を粉にしてまで一生懸命に努め、被災地の劣悪な生活環境によって肝臓を患い、遂に数日間の入院を余儀なくされた。
その後容体も徐々に回復し会社に戻ったところ、同僚の一人から、偽善、売名云々などと言わんばかりの陰湿な対応を受けたとの事だった。

如何に、正しい事、素晴らしい事をやったとしても、妬みなどから必ずこのような陰湿、陰険な対応をする人間がいるものだ。 このような連中は結局陰口をたたくばかりで、実際動こうともしない連中が多い。
以前にも述べたように、これらの心ない連中の言葉によって、折角、善の心や奉仕の精神を重んじ、ボランティア活動に意欲を燃やし行動している人達、或いは、これから行動しようと考えている人達の意欲を削ぐ行為は、明らかに罪以外の何物でもない、絶対に邪魔しないようにして頂きたい。

そう切に訴えたいのと同時に、売名行為だろうと、偽善だろうと、浅はかな計算だろうが軽挙妄動な行為だろうが、人々の情けやボランティア活動によって、多くの被災者の方々や被災地の役に立っている事は、紛れもない事実だという事を決して忘れてはならない。

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