エッセイコーナー
848.おかめはちもく「当たり前の論理」  2023年8月25日

お盆期間中、各家々では盆棚を設置してご先祖を迎えるのが一般的だと思う。
我が家も御多分に漏れず、仏壇の前に古い盆棚を組み立て、飾り付けも結構派手にしてご先祖様を迎えている。
組み立て式の盆棚はお盆期間中以外、母屋から少し離れた土蔵に保管している。
先日、父の初盆の折、16日に盆棚を片付ける際、いつもながら、当たり前のように土蔵に戻そうと土蔵の鍵を用意すると、初盆の為帰省していた妹から、「お兄ちゃん、わざわざ土蔵に仕舞うより座敷の奥に置いてたらいいんじゃないの」とサラッと一言。
ムムムムムッ、確かに・・・!
長年保管場所は土蔵だと決めつけていた。 
以前父がそうしていたように、それが「当たり前」だと思い込み、疑う余地もなかった。

雨の時は傘をさし、暑さ厳しい時は汗だくになって土蔵と母屋を何度も往復していた。
将棋や囲碁などもそうだが、腕組みをしながら他人の対戦を鳥瞰する第三者の方が、次の一手が良くみえるものである。
当事者として、あまり真剣になっていると全体が見えてこないものである。
妹の機転の効いた何気ない一言で、今後は雨に濡れず、蚊に刺されながらも汗だくで土蔵から運ばずに済みそうである。
「助言は宝なり」「一歩を踏み留まり足元をみる」蓋し名言なり。
自分で云うのもなんだが、このアフォリズムを肝に銘じたい。

世間を見渡すと同じような場面や事象が意外と多いものである。
新たな理論を頭ごなしに否定し、受け入れようとしない剛情性。
過去の過ちを認めず、反省しようともしない自己中心性。
長年続けてきた金本位制のもとでの旧態依然とした貨幣観。
「借金」と云う意味合いからなかなか逸脱出来ない財政観。
今迄当たり前だったことを、一歩を踏み留まって今一度足元を見つめ、見る角度をちょっと変えるなど、視点を変えることで「真実」がみえてくる。妹の何気ない一言により、一歩を踏み留まって、じっくりと足元を見ることの重要性に気付かされたのだった。


フォト短歌「雨蛙」  


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