エッセイコーナー
558.手書き派vsワープロ派  2021年1月5日

とある新聞に興味深い論戦記事が載っていた。
中学の国語の授業で、作文を書くのに手書きかワープロかについての可否を問うた内容だ。

手書き派の意見は、
ワープロだと誰が書いても同じであり、個性を感ぜず、素っ気なさを感じる。手書きであれば筆圧などから書き手の心情が読み取れる。また、パソコンに頼り過ぎるときちんとした字が書けなくなるのではないかとの指摘もあった。(確かに・・・)

一方、ワープロ派の意見は、
様々な分野でデジタル化が進むなか、作文はアナログと云うのはおかしい。ワープロは誤字脱字などの編集が早く効率的だ。ワープロは個性がないとのことだが、個性がないワープロだからこそ、内容の出来・不出来が際立つ。世界はデジタル化が進んでおり、パソコンの有効性を認めてうまく活用することが大切である。
との子供らの意見だが、何とも微笑ましい論戦である。
正直に云って甲乙つけ難い。どちらの意見も正しい。

因みに私が文章を書く際は、先ず手書きでずらずらべらべらと(自分でも読めないことがあるが)書いてからワープロで清書すると云った流れが主だ。
勿論時間のない時は直接パソコンで済ませることもある。
従ってどちらでも良いと云いたいところだが、敢えて云わせてもらうと、清書はやはりワープロがいいと思う。
何故なら、エッセイや詩歌のアンソロジーを編纂する際、預けられた原稿が楷書で丁寧に書かれた文字なら未だしも、個性的過ぎる崩し字などは解読に苦しむことが往々にしてある。
エッセイや随筆などは前後文である程度理解できるが、短歌などの短詩系文学は前後文だけでは意味不明の場合がある。
実にやっかいなのだ。

そんなことを考慮すると、やはりワープロで仕上げた方がいいと云うことになる。
しかも今後は更にデジタル化やIT化が進み、手書きによる個性が活かされる機会は益々減ると思われる。年賀状の宛名書きや書道などの芸術的な分野に限られてくるのではないだろうか。
今回の中学生らによる論戦記事を読み、両者の意見に「なるほどなぁ~!」と頷き、感心もしたが、手書きは大切だと思う以上に、脳みその柔らかい若いうちからパソコン脳や指先を鍛え、ブラインドタッチのスピードを速めるなど、今後のデジタル社会、IT社会に順応出来るスキルを少しでも若いうちから磨き上げるべきではないかと、愚生は思うのである。


フォト短歌「すみる」  

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