エッセイコーナー
518.夕顔物語「二つのおまじない」  2020年8月27日

今年も無事に夕顔の実が生った。
夕顔と云えば、作物の豊凶を予兆する年占作物として、作物禁忌とする地域もあるようだが、この辺りではそのような風習はない。
今夏は盂蘭盆近くまで長雨が続き、日照不足から殆どの野菜は不調の為、夕顔もなかば諦めていた。
ところが盆明け頃から天候も回復し、炎暑の日が続くようになって実の生り具合は好転したようだ。

今年も5月の連休を利用して2株の夕顔を植え、実成りを楽しみにしていた。
苗を植えた折、しっかりと育つようにと二つのおまじないをした。
一つ目は、しっかりと育ってくれるようにと優しく撫でた。
二つ目は、そんなに大きくならなくていいから、「しっかり実が生るように」と優しく語りかけた。

私は夕顔が大好物で、特に油麩との煮込み料理は格別に美味しい、と思っている。
なかでもご飯の上にどっさりと盛り付け、夕顔丼にして口に頬張ると、幸福感、至福のひと時を味わう(あくまでも個人的意見)ことが出来る。

いつもは摘芯もせずに、苗を植えたままほったらかしにしておくのだが、今年は何故か摘芯を試みた。
何故いつもは摘芯をしないのかと云うと、収穫期の夕顔の実はとても大きくて重い。処理がなかなか大変であり、あまり多くても困るのだ。
以前摘芯をした時は、兎に角実の生りが良い年だった。嬉しい悲鳴なのだが、結局食べきれずに近所に配ろうと持って行くと、「うちにもあるよ」と云うことで、結局持ち帰ったりしたものだった。そんなことからそれ以来殆ど摘芯を施さなくなったが、今年は何故か施した。
今になってみれば正解だったのかもしれない。今日も明日も夕顔三昧である。


フォト詩歌「夕顔物語」 フォト短歌「無花果の収穫」


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