エッセイコーナー
48.頭陀袋に水を注ぐ   2012年11月9日

昨日、岩手県陸前高田市に京都市から仏像が届けられた。
製作は京都市南丹市にある京都伝統工芸大学校の学生らによるもので、その材料となったものが、震災や津波により7万本もあった高田松原の松が、1本を残し、他は全て薙ぎ倒され、倒木となった松を利用して彫られたものだ。
生徒らは、津波によって流されるさまをニュースで見て、「学校として何かできることはないか」との奉仕的精神から、製作に取り掛かったのだと云う。

今年5月にも、当校の学生らが手掛けた大日如来坐像が、京都市東山区の清水寺本堂に納められ、開眼法要が営まれた。
今回高田市に贈られた仏像は20体。
被災者の鎮魂と供養の為と、学生ら一人ひとりが心を込めて丁寧に彫り上げた仏像には、見る者の心や、津波により無念の死を余儀なくされた被災者の心を、鎮め、和ませるかのような力強さと優しさがある。
本当に有難いことである。

その感動とは裏腹に、政界や官界では、何とも憂い尽きない愚行や常軌を逸した言動が次々と顕になってきている。
権限をかさに現状や実態の把握を怠り、頭ごなしに押さえ込むなどの裁量権の逸脱をする大臣。
福島原発の事故により、被災地の多くの県民や市民から平和な日常や生活を奪い、そして絶望感を与えた。
そして多くの国民を不安に陥れた真因である原発の稼働の可否について、政府の「革新的エネルギー・環境戦略」では、2030年を目処に原発ゼロを可能にするとの方針を打ち出しているにも係わらず、同じ閣僚の一人である筈の経済産業副大臣が、札幌市での会合の折り「原子力規制委員会が一日も早く全国の停止している原発の再稼働がなされることを希っている」と述べた。

また復興予算については、本来被災地や被災者の為に使われる筈の予算である血税が、まったく復興とは縁もゆかりもない所、或いは緊急・即効性の決して高いとは言えそうにない事業への支出が、相次いで判明しているといった許容し難い問題が急浮上している。
被災地でもない駅の再開発事業や、税務署の修繕費、挙げ句の果てには観光地のバス停の外国標記にも使われているとのことだ。

東日本大震災による被災地が、急を要する復興に対し、必要最低限の予算として要求する来年度予算額が約9400億円。
それに対して国は58%の5500億円しか認めないとのことだ。
「さもありなん」笊、いや頭陀袋にいくら水を注ぎ込んだとしても、直ぐに漏れ出すこと明白である。
縦割り予算の弊害がここにもしっかりと出ているようだ。
まったく、ほんとに困ったものだ。呆れてものも言えない・・・。

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