エッセイコーナー
877.地に足つけて「悔いなき人生」  2023年11月17日

先日、自宅に戻ると一冊の本が届いていた。
送り主は高橋忠徳先生だった。
高橋先生は元高校教師であり、岩手県立岩谷堂高校の校長を最後に退職され、著書の表紙を飾る楯にあるように、83才にして現役の長距離ランナーである。

高橋先生とは以前、現代詩歌文学館前館長の篠弘先生(故)が講師の短歌実作講座で知り合った。
お互い篠浩先生に恩義を感じ、篠先生主宰の短歌結社「まひる野会」に入会した。
2019年12月に篠先生が当館の館長を退いたことを機に、私はまひる野会を退会したが、高橋忠徳先生は続けておられるようだ。
今回発刊の『ー 私の雑文集 ー<その3>思いのままに』のなかにも、篠弘先生に対する感謝の気持ちを詠んだ歌や、結社誌『まひるの』に掲載された歌が300首程載っていた。

前半は21年間続けておられる日記を基(おそらく)に、随筆が51編収められ、内容の充実した一冊である。
また、表紙が実にいい。
第42回河北新報錦秋湖マラソン「シルバー賞」受賞の楯はもとより、『村長ありき』の著者で、岩手県を代表する作家、故・及川和男先生が余白の重要性を頻りに唱えておられた。
表紙を改めて眺めてみると、今更ながら余白の素晴らしさを改めて思い知らされた感がある。

掲出歌その1
わが短歌をうまい俳句という人を怒りはせずに笑顔で正す 

コロナ禍、若者の間では「空前の短歌ブーム」とのことだが、地方の短歌会では無縁に等しい。
そんななか、俳句会は隆盛を極めている。
三十一文字を愛し、主に置く者としては淋しい限りだが、「笑顔で正す」高橋先生の度量の広さと、お人柄がひしひしと伝わってくる一首である。

掲出歌その2
スランプや気持ちの晴れないその時はベートーベンの運命を聴く

人それぞれ、人生に於いて影響を受けた音楽は色々あろうかと思う。音楽の持つ力、影響力は計り知れない。
因みに私は、若い頃は同じベートーベンの「交響曲第九番」。中年以降は、秋田市在住の川崎ツトムさんの「逢いたくて」と BankBandの「To U」である。

前述したが、それにしても高橋先生の健脚ぶりには驚かされる。83才にして地に足つけた現役長距離ランナーとして、後悔しないよう今後も「程々」に頑張っていただきたいものである。
高橋先生のような度量の広い校長と高校時代にお会いしていたならと思うと・・・。

「地に足つけた悔いなき人生」云々と云えば、
地元のJAいわて平泉が毎月発行する『KOSHERU』と云う広報誌がある。
私はモニターとして登録しているので、一応目を通す必要がある。1ページ目から順繰りに見ていった。
10頁目、11頁目に進み、次の12頁目と13頁目は見開きページである。「こしぇるびと」つむぐストーリーとして『KOSHERU』のメイン頁でもある。 ※KOSHERU(こしゃる)とは作ると云う意味。

11頁目を捲り、メイン頁を開くと、いきなり見覚えのある顔がドドドーンと出てきた。
鈴木浩平君ではないか。「なになになに、どうした・・・?」
私の知る鈴木君は、誠実で真面目、実直な一関市役所職員の筈だったが、確かに以前、農業に興味があるとのことで、「どこかに良い土地がありませんかね」と尋ねられたことを思い出した。
「ああ、あるある、俺んちに耕作放棄地が沢山あるからいつでもいいぞ」と冗談交じりに話したことがあった。

その時は冗談だろうと思い、「家庭菜園程度なら面白いが、業としてやるのは大変だぞ。定年まで役所に勤めていた方がいいんじゃないか」と諭したつもりだったが、その時から意志は硬かったようである。
リンゴ農家として独立したとのこと。
鈴木君は勤勉で真面目な人物。彼なら必ずや成功するだろう。
何しろ指導者がいい。
私の小・中学校時代の野球部の後輩、小岩克宏(果樹部会長、峠のりんご屋代表)君である。


高橋忠徳先生の著書 鈴木浩平君 フォト短歌「野地の秋」


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