エッセイコーナー
79.人間とアリ  2014年5月30日 

福島原発爆発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、対象者約8割のうち甲状腺がんと診断された患者の数は、前回(2014年2月)の検査時よりも17人増の50人になったと発表(2014年5月19日)された。
その他「疑いあり」といわれた39名と、手術の結果「良性」と認められた一人を含め、90名が震災当時6歳から18歳だったとのことだ。
震災前の福島の小児甲状腺がんの発症率は、1人ないし2人程度。世界で一番甲状腺がん発症率が高いといわれる韓国より、約7倍も多いとの結果だ。また、あのチェルノブイリ爆発事故による甲状腺がん発症よりも多いと云われている。
そのチェルノブイリでの子どもの甲状腺がん発症のピークは、事故後4年目だったということから、今後も更に増える可能性があると懸念されている。

そんな現実を前にすると、誰が考えても「原発事故との因果関係は無い」と断言すること自体、無理というものだが、調査委員会はその因果関係は考え難いとの見解を示した。
確かに慎重を要する問題だけに、致し方無いのかもしれないが、何とも後味の悪い、煮え切らない発表となった。
そんな折り、2014年5月21日、福井地裁では関西電力に対し、大飯原発の再稼働をめぐり、運転の差止めを命じる判決を言い渡した。

嘗て原発稼働をめぐっては、行政庁の科学技術的裁量を広く認めてきたが、福島第一原発事故の深い反省から、安全性の認識に於いて、厳格で高潔な、人格権を尊重するといった配慮を求めるようになった。
大飯原発に於ける安全性や設備は「万全に値しない」。寧ろその脆弱性に対する楽観的な見方に対する警告とし、人格権を尊重し、再稼働を容認しないといった司法権を行使し、三権分立の独立した権能による特権を示した格好となった。
これに対して関西電力は、5月22日、名古屋高裁金沢支部に控訴している。 裁判が確定するまでの道程は永そうだが、上級審での、人格権を尊重するといった国民重視の姿勢に心から期待するとともに、司法権の独立した確固たる統治権は、立法府や行政府の暴走に対する抑止力となり、人格権を尊重した基本的理念に基づき、人間の尊厳を守る為の最後の砦でもある。
是非、上級審でも、国家権力の圧力に屈することなく、国民重視の姿勢を示してもらいたい。

ただ問題は、控訴審判決が出る前でも、原子力規制委員会の適合審査合格などの条件が整い、政府の了承があれば、関西電力は同原発を再稼働する方針を明らかにしている。
このコトの是非を、国民はしっかりと考え、賛否を明確に表明すべきだと私は思う。
決して「ひとごと」ではない。間違いなく言えることは、「事が起きてからでは手遅れだ」ということだ。

「喉元過ぎれば何とやら」で、殆どのブログやSNSの投稿には、この手の投稿文はめっきり少なくなったように感じる。
かく言う私も、内心この手の話題に触れるべきか否かをちょっと迷う時がある。
「できれば触れたくない」「忘れてしまいたい」といった逃避的感情に苛まれることもある。恥ずべきことだとは理解していても、それが現実であり事実である。

何れ時間の経過とともに、忘れ去られ、何事もなかったように地球温暖化防止の有効的エネルギー、或いは、安価な電気料金提供マシーンとして原発は再稼働し、科学技術の進歩をうたい文句として、益々増設され、最終処分場の見通しが相変わらず立たないまま、処分に困るやっかいな廃棄物を無数に生み出していくのだろう。なんと切ない、悲しいことであろうか。
いくら「止めろ」と語気を強めたところで、「地獄の沙汰も金次第」安心、安全よりも経済を優先させろというのが世間、社会一般の考え方。相も変わらぬ現実がそこにある。

人間はアリと一緒で、利に集まり、甘い蜜に群がろうとする習性があるようだ。
何とかミクスの恩恵にあずかろうと群がる蟻聚に圧倒され、半分諦めかけていたそんな矢先、昨日の朝刊の一面に、「脱原発志向84%」の見出しが目に留まった。
その内訳は、
・将来的になくす・・・49.3%
・なるべく早くなくす・・・24.7%
・全ての原発を直ちになくす・・・10.3%
重要な電源として活用するは僅か12.7%だった。
その記事を見て、改めて私の認識不足を確認した。

少しずつではあるかもしれないが、正しい方向に修正されようとしている日本の未来に、光明が差し始めているように感じたのだった。



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