エッセイコーナー
192.置き去り  2016年5月31日

ここ数日、「置き去り」と云うショッキングな文言に注目が集まっている。
「しつけ」だとして、北海道七飯町の山林に5月28日の土曜日の夕方、子供が親に置き去りにされてから3日が経った。
「置き去り」と云う言葉の印象は、実に冷酷で無慈悲な印象が色濃い言葉である。
過去に度々ニュースで報じられているような、血縁関係の無い無慈悲な親が、「無抵抗な子供に対する一方的な暴力」と云った印象を受けた。

しかしながら実際は違っていたようだ。とても仲の良い親子だそうで、近所でも評判だったとのことだ。
人や車に向けて投石するなど、いたずらをする我が子に対し、父は厳格に注意するつもりだったのだろう。
結果的には決して良くなかったが、子を持つ父親として気持は十分に理解できる。「常識ある子に育てたい」と思うならば尚の事、多少の厳しさは必要なことだ。

私も子供の頃は、あまり自覚はないがかなりのいたずらっこだったそうで、厳格で評判だった元教育者の祖父から、幾度となく、こっぴどく叱られたことを憶えている。
その中でも一番印象深いのが、土蔵の中に閉じ込められたことだった。幼少の非力さでは重い土壁など到底びくともしない。出たくとも出られなかった。土蔵の 中は真っ暗で、兎に角怖かった。怖くて怖くてたまらなかった。いたずらっこで泣き虫の私は「ずっと泣きっぱなしだったよ」と母から後で聞かされた。

実際は2・30分程度だったと思うが、あの時は5・6時間の長さに感じたものだった。祖父に気づかれぬように、母が開放してくれたことを50年余りを経た今でもはっきりと憶えている。
私の場合は、それ以降も何度か土蔵で泣きはしたものの、多少は懲りた。ことの善悪を学び、多少の「しつけ」にはなったのではなかったろうか。

しかしながら今回は、いかに「しつけ」とは云え未だ7歳の子供。例え短時間であっても、山中では目を放すべ きではなかった。山中に置き去りにするのは絶対に良くない。一人になり、不安にかられた子供は泣きながら必死になって車の後を追ったに違いない。到底車に 追いつくなど不可能である。また、7歳児の体力の消耗は早いだろう。
我々経験豊富な大人であれば、道路をそのまま下るか、沢を伝って下ることを考える。例えそうであっても大人の遭難者が後を絶たないのが現実だ。

今は新緑の季節、草葉も茂り、背丈以上の草が生い茂る原野に一歩でも足を踏み入れては、間違いなく迷ってしまう。自然を甘くみては絶対にいけない。
明日の天候予想は北海道の一部で雪との予報だが、一刻も早い救助を期待する。
無事であることをただただ願うばかりだ。

今回の報道で非常に残念なことは、父や家族を、まるで犯人かのような扱いで報じていることだ。確かに「置き去り」は不味い。
しかしながら「しつけ」の一環であったことをある程度理解すべきであって、実際の映像にモザイク処理などの配慮が必要であり、恩情を与える報道であるべきだ。一番悲しみ、苦しんでいるのは両親だろう。 鬼の首を取ったかのように、とくダネ!スクープとしての一方的な行為は、特権的な行使の乱用、配慮を欠いた報道の節操のなさは露呈しているように思えてならない。

※幸いにも、6日後に元氣な姿で発見された>>


フォト短歌「一里塚」  



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