エッセイコーナー
466.あれから9年  2020年3月11日

東日本大震災の発災から3,285日、時間にして78,840時間と云う長い星霜を経ているようだが、心象的な実感としてはあっという間の9年間だった。
津波被害の沿岸部では、造成工事や箱物建築など、表面的な整備は進んでいるようにも思えるが、果たして住民たちの心の整備は進んでいるのだろうか。
9年経った今でも、4万人を超える避難者がいると云う現実を、決して忘れてはいけない。
ご家族を亡くされた方たちの心情を思うと、名状し難い感情が湧き上がり、今尚、哀惜の念に堪えない。

3年前の3月11日、世界遺産毛越寺で7回忌の法要が営まれた時のことを思い出す。
読経の後、千葉慶信執事長のご挨拶のなかで、第257世天台座主 森川宏映大僧正のお言葉を紹介された。
そのお言葉の中から、法華経の第16章如来寿量品の「常懐悲感(じょうえひかん) 心遂醒悟(しんずいしょうご)」を引かれた。その意味を説明された時には、流石に、私の涙腺が崩壊してしまったことを思い出す。

その意味とは、「常に悲しみを懐いて、心遂に覚醒す」則ち、常に悲しみを懐いていると、その悲しみが心を浄化し、神仏やご先祖様が安寧の世界へと導いてくれると云う意味とのこと。
悲しいことや辛いことがあれば、一般的には考え方を改め、前向きな発想を持つことによって、心の弱さを克服しようとするが、それはなかなか難しいことである。
悲しい時は遠慮することなく悲しめばいい・・・。
また一つ、大切なことを悟らせていただいたような気がする。

 3・11平泉浄土のあかり毛越寺  2017年3月11日
 夢あかり一関 2014・3・11   2014年3月15日


フォト短歌「絆」  
     
 


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