エッセイコーナー
832.私の回想及び備忘録「独りごつ ぶつくさぶつくさ」第一弾  2023年7月9日

父の葬儀の時に、菩提寺の和尚さんから「父上の短歌を詠まないのか」と尋ねられた。
もし詠んでいたら、戒名にその歌の中から一字を取り入れたいとのことだった。
私が短歌を詠んでいることを和尚さんは知っていたからだが、私は他人のことを詠み、書くことは結構ある。
短歌は一人称の短詩型文学と云われているものの、私は自身のことや身内のこととなると、なかなか筆が進まないのも事実である。

確かに、作家や詩人、歌人たちはしっかりと自分に向き合い、愚直なまでに自己分析をして、書き、詠むのが一般的だと思われるが、公開するのはそれなりに勇気がいることである。
私はそれ程勇気がないので、書き、詠みたいとはあまり思わなかった。
確かに、それ程思わなかったが、父との別れを経験したこともあり、私とていつなんどきどうなるかは見当もつかない。そんなことから、回想録を兼ねた備忘録として、記録しておこうと思った次第である。
またその際に、私の信条などを吐露しようと思うが、財政観や貨幣観をめぐり色々と論陣を張る都合上、私の脳内の構造もある程度示しておく必要があると思う。

私の趣味のひとつに、詩や短歌など、特に書くこと(恥も含むが)を好み、時間があれば何やらかにやらと書き、詠んでいる。
また、大学では法律を専攻したこともあって、「ど文系だ」とみられる節があるようなので、弁明も含めて誤解を解いておきたい。
自分で云うのもなんだが、どちらかと云えば私の脳内は理系脳であると思っている。
もともと方程式や因数分解が得意だったことから、高校は理数科に進んだ。

父方の曽祖父や祖父は漢詩などを趣味として、自宅の襖や屏風に自作の漢詩を揮毫したものが今でも残っている。
祖母もまた、趣味として短歌や俳句を詠んでは短冊に揮毫していた。
私が短歌を始めたのもその祖母の影響が大きい。
そんなことから、我が家は文系の家系だろうと思われがちだが、意外にそうではない。
決して自慢するつもりはないが、我が家の分家筋には理系が圧倒的に多く、特に医者が多い。内科や外科、眼科や歯科など、現役及び故人を含めると30名近くはいるだろうか。

私の母方の祖父もやはり理系であり、大戦当時は獣医師として満州に渡り、軍の従軍獣医師として軍馬250頭を診ていたそうだ。
私の息子もやはり理系で、AIのロボット等を製作するエンジニアである。
そんなことから、私もどちらかと云うと理系の脳を持っていると思っている。
ただ、私は学生時代から決して勤勉な生徒ではなく、机に向かってコツコツと勉強する真面目なタイプではなかった。
そもそも暗記する文系科目が苦手だと感じていた。

但し、数学が好きだったとは云っても、「数Ⅲ」あたりになるとやたらと長い公式を覚える必要があった。
前述したとおりコツコツと暗記するなどは不得意であり、ましてや公式を自力で作るほど頭が良い訳でもない。次第に数学が嫌いになっていったと云う思い出がある。
ただ唯一、暗記する文系の科目のなかで好きだった科目があった。「政治経済」である。とは云え、政治家には今でも全く興味がない。

また、前述したように、詩歌や随筆など暇さえあればペンを走らせ、キーストロークに指が吸いこまれたりもするのだが、元来、国語には全く興味がなかった。
何故なら「作者の意図を示せ」と云った問いに、「作者に直接聞いてみないと分かる筈がないじゃないか」と思っていたからである。
況してや古文の授業中などは恍惚状態で、殆どは居眠りをしており、時折自分の鼾で目が覚めたものだった。
挙句の果てには、お昼近くの3限目となると腹が減って仕方がなく、廊下側の一番後方の席を陣取っては弁当を広げ、早弁したものである。

流石に、映画「君たちはまだ長いトンネルの中」の主役、高橋アサミちゃんほど大胆な早弁ではなかったが・・・。
ただ何故か、幸いなことに赤点の経験がなかったと記憶している。その記憶が正しければの話しだが・・・。
ともあれ、そんな私が詩だの短歌だのと、私の若かりし頃を知る人物にはとても信じ難いことではあるまいか。
況してや、文学どころか、東に「いじめるやつがいるから助けてくれ」と要請があれば、直ぐ様履いていた下駄を両手に抱えて裸足で馳せ参じ、西に「5・6人のやつらに絡まれた」と聞けば竹刀を持って急いだものである。
机上に向かってじっとしているより、暴れまわってた方が性に合っていた。
世の中、色んな人間がいるから面白いのである。

余談はさておき、好きな科目の一つである政治経済だが、当時「経国済民」と云うフレーズにとても感銘を覚えたものである。今では「経世済民」と云った方が一般的なようだが、「世の中をおさめて人民を救う」と云った意味で、「経済」の語源だとも云われている。
経済の安定化によって我々一般国民が安心して暮らせる訳だが、今はバブル崩壊以前の日本経済と異なり、デフレ基調により経済はかなり弱体化している。
その原因を作ったのは、一言で云うと、「消極及び緊縮財政」である。

当時、政治経済を勉強するなかで、疑問に思い、的確な回答を暫くは見出だせなかった、と云う思い出がある。
世界大恐慌の経験から、その轍を踏まない為にと金本位制から管理通貨制を導入するようになった。
保有する金の在庫量に関係なく通過を発行できるようになったのだが、にも係わらず、なかなかすんなりとは納得がいかなかった。
と云うのは、「借金」と云う概念、言葉の意味合いがあまりにも強すぎたからである。
一般的な「借金」の解釈としては、「必ず返済しなければいけないもの」との常識が浸透しているからに他ならない。
但しこの発想は、通貨発行権を持たない我々民間レベルでの発想であり、解釈である。
発行権を有する国は全く別物であると云うことを認識する必要がある。

そんな意味に於いて、何故、緊縮財政が正当化され続けているのかも疑問に思っていた。
国の緊縮財政が今日の日本経済の衰退を招き、デフレから脱出できないことは紛れもない事実である。
国内総生産(GDP)だけみると、アメリカ、中国に次いで世界第3位。とは云え一方で、国民一人当たりのGDPは世界で25番目である。
経済成長率もここ30年間でほぼ0%に近い。
五公五民の重税負担と相俟って、2021年に国連が発表した「国・地域別の幸福度指数ランキング」では、日本は40番目とのことである。
他の先進諸国と比較すること自体、恥ずかしいとさえ思える現状である。

嘗ては「一億総中流社会」をスローガンに、昭和40年代以降は自分の生活水準を「中の中」と自覚する世論調査の回答が最も多かった。「上」または「下」とする回答が合計で一割未満だったそうだ。
果たして今はどうだろうか。
バブル崩壊以降の緊縮財政により、二極化が進み、それに輪をかけて派遣労働法によって貧富の格差が開き、「税の応能負担」を崩壊させた消費税の導入により、益々貧富の差が更に更に深まったと云わざるを得ない。

当時は社会保障の為だとして、定年後は安心して余生を送れ、次世代を担う子供たちの教育や養育の安定化が叫ばれながら、消費税の正当性が高唱された。しからば「増税も已む無し」と賛同して貴重な一票を投じたものだった。
しかしながら、今になってみると全く異なっていた。まるでペテンにあったように騙された感が半端ではない。
特に2014年に消費税5%から8%に上げる際に、今後の少子高齢化などに備え、「社会保障の充実の為全額社会保障に回す」と喧伝していた筈だが、結果的には社会保障には13%程度、残りの約80%は、先進諸国では唯一日本のみが採用する無意味な「60年償還ルール」を含む政府の借金返済に流用されていた。

「悪政による悪税だ」と云わざるを得ないのが、日本の消費税の実態である。
その消費税が導入される切っ掛けとなったのは、何やら当時大蔵省の役人がヨーロッパ視察の折、フランスの間接税を参考として「思い付き」で始まったそうだが、今にして思えば、そのとんでもない思い付きによって、デフレの悪循環に苛まれ、国民の多くが悩み、苦しめられてきたことになる。
その影響により、生活苦を理由に自死を選んだ犠牲者は大勢いた筈である。
金本位制当時の財政観、貨幣観のままでは理解は難しいと思うが、前述したように、世界大恐慌の轍を踏まないようにと、管理通貨制を導入して既に80年以上も経っている。
過去の知識、不文律に縛られることなく、洞察の眼をしっかりと見開いて、財政観、貨幣観を改めていただき、「経国済民」「経世済民」をモットーに、幸福度ランキングで世界の上位に入るよう、ただただ願うばかりである。

どうする財源

↑↑『どうする財源』ー(貨幣論で読み解く税と財政の仕組み)と云う、評論家中野剛志氏の著書がある。
生前、西部邁氏が中野氏が以前刊行した『日本思想史新論』は10年に一度の傑作だと評価していたが、『どうする財源』をどう評価するか気になるところだ。
正しい貨幣観に基づいた当著の財源論は一読の価値大ありである。
財政の真実をじっくりと噛み砕いて非常に解りやすく丁寧に書いている。
著者が前書きで述べているように、一度通読した後に、再び序章に戻って読み直してみると、現在騒がれている防衛財源や少子化対策の財源など、正しい財源は何であるかが手に取るように分かる筈である。
それと同時に、成瀬裕太監督の「君たちはまだ長いトンネルの中」という映画も、必見の価値大ありである。
正しい財源は何であるかが、西空に現れるヤコブの梯子のようにくっきりと見えてくる筈である。


紅月 畑のダイヤ

追記
安倍元総理が凶弾に倒れて1年が経った。
国民の幸福を願い、デフレからの脱却を目指し、積極財政をよしとしながらも、強烈な逆風、目に見えない圧力に抗いながら、道半ばで非業の死を遂げてしまった。
国の財政観、貨幣観を正す上で、なくてはならない人物だっただけに残念でならない。合掌🙏

安倍晋三元総理の志を継承する集い


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