エッセイコーナー
432.3つの怡怡こと  2019年11月22日

今年の3月10日、師と仰ぐ作家の及川和男先生が他界。つい一週間前には叔父の畠山芳郎翁が92年の年月にピリオドを打った。今年は悲愴感を持ちながら年末を迎えようとしていたが、昨日、岩手県体育協会より功労賞(詳細は後日掲載)を授かることとなり、盛岡市を訪れた。これが「3つの怡怡」の1つ目である。

2つ目は、その会場となったサンセール盛岡の受賞者の控室に入ると、そこに は大井利江(おおいとしえ)さん(71歳)が待機していた。
大井さんは39歳の時、ミッドウェー沖での漁の折、荒波に遭い、首と腕以外の自由を失うなどの大事故に見舞われた。
その後リハビリに励み、車椅子ながら円盤投げや砲丸投げなどの投擲にチャレンジしている。
2004年のアテネパラリンピックでは円盤投げで銀メダル。2年後のIPC世界陸上選手権大会では金メダルを獲得。71歳になった今でも現役を続けておられる。

予てより是非一度お会いしたいと思っていた人物である。早速名刺を持参して挨拶に向かった。
今月の11日に行われたドバイでのパラ陸上世界選手権大会の砲丸投げでは、4位に入り、一旦2020年の東京パラリンピックへの出場権を獲得したと思われたが、最終的には5位に留まり、東京パラリンピックへの出場を逃してしまった。
しかしながら71歳にして未だ衰えを知らず、砲丸投げの記録も伸びているようだ。
生涯現役、是非とも頑張っていただきたい。

3つ目の怡怡は、特に喜びも一入であった。
授賞式が終わり、写真撮影の為会場を移動しようとしたその時、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
ふとその方向に目をやると、老練にして如何にも功を積んだ紳士風の人物がこちらに近づいてきた。
「英伸、お前はあの英伸か?」と。一瞬思案に暮れた表情を浮かべたであろう私の表情を察してか、「俺だ、俺だ、木村だよ」との聞き覚えのある声に、すぐ様合点がいった。
中学時代にお世話になった恩師の木村昻史先生であった。40余年ぶりの再会である。

木村先生は地元盛岡市の中学校長を最後に教職を離れ、今は悠々自適の生活を送られているようであった。
先生は高校・大学と体操選手として活躍され、指導者としても実績を積んでこられた。先生の初任地である私の母校の中学校では、それまで女子体操部はあったものの戦績は然程ではなかったように記憶している。先生の赴任を機に、母校の女子体操部はメキメキと実力を付けていったと記憶している。
現在は岩手県体操協会の会長を務めておられるとのことであった。

木村先生の思い出として大変印象深かったことは、先生のご実家は当時、盛岡市で旅館を営んでおられた。現在は既にたたまれたとのことだが、当時私が中学3年の折、放送陸上中学校岩手県大会の男子砲丸投げで優勝したことがあった。
その実績を買われ、当時盛岡市で行われた県主催による陸上競技選手の強化合宿に参加することになった。高校生や大学生にまじり、トレーニングの基礎などを学んだことがあったが、その時、一関市から選抜された4名共々、先生のご実家に宿泊し、大変お世話になった。当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。
あまりにも懐かしく、目頭が熱くなった次第であった。

先生は現在、ゴルフに夢中とか。
私も嘗てはゴルフに嵌り、ベストスコアは白マークからだが34+38のパープレー
しかしながらこの10年来シャフトすら握ってはいなかったが、そろそろ復活を考えていた矢先だった。
この冬、始めた当初を思い出し、帰宅する前にでも一球一球軌道を確かめながらゴルフ練習場に行こうかと思っている。もっともその前に、クラブの手入れや握りの確認、鏡の前での素振りからと云うことになりそうだが・・・。


フォト短歌「砲丸とゴルフ」 功労賞盾


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